ケガや病気を診てくれる病院の先生はその道のプロ。
そう信じるからこそ、病院で診察を受けるときは、お医者さんの説明内容をただただ一生懸命に聞くことに終始してしまいがちだが、大きなケガや長引く病気に負けない為には、自分のアタマでも考えて、疑問に思うことや「ん?」と気になることは、どんどん質問することはとても大事なこと。
いろいろケガをして病院のお世話になってきたからそう思う。

ただし、それが、海外の病院で先生から英語で説明される場合には、更にハードルが高くなる。
内容を理解するのすら一苦労。その上、ケガや病気で身体が弱っているときは、気持ちも弱くなっているので、先生に疑問をぶつけるというのも結構タイヘンだ。

そんな体験を、シドニー滞在時に実際にした。
週末のアマチュアサッカーの試合で、人生で初めてアキレス腱を切って手術入院したときだった。

運動をしているヒトへの何かの参考になるかもしれないので、その時の体験を少し説明してみることにする。

それは、日曜の早朝、サッカーの試合が開始してから早い時間に起こった。
フォワードのポジションにいた私は、自陣の方から飛んできた浮き球をフィールドの中央近くでトラップしながらターンをして前方のゴールにドリブルしようとした瞬間、右足のふくらはぎ部分全体を「思い切り蹴られたような衝撃」を受け転倒。
ホイッスルが鳴らず、試合は続行しているので、おかしいなと思いながら立ち上がって、数歩あるくとすぐに右足首にまったく力がはいらず、「足首がペタンペタン」となっていることに気づいた。
その瞬間に『やっちまった。。』と、(これまで経験したことはないのだが)アキレス腱を切ってしまったと頭に浮かんだ。
実際のところ、周りにいたメンバーに訊いても、相手選手は誰も私の脚を蹴ったりしておらず、「完全自爆」だった。
頭の中では、原因を考えた。
その日初めて巻いたいつもと違う足首のテービングが悪かったせいか?
試合前にギリギリ到着して、準備運動がいつもより雑だったせいか?
他にも腰や膝が痛かったから、それをかばってその部分に大きな負担がかかっていたか?
いずれにしても、どれも後の祭りである。

大きなケガをしてしまった自分が情けないのと、病院に早くいくのが専決だという思いで、ベンチのメンバーと軽く言葉を交わして、まず帰宅することにした。
ただ、困ったことにそこへは車を運転して来ていて、右足は完全に力が入らない状況。車で30分かかる家までどうやって帰るか?
結論は、「左足で運転」して帰った。
運転しながら、『長いことサッカーやってたから右足と左足がだいたい両方同じように使えて良かった。“芸は身を助ける”だな。』と、そんなサッカーをやっていたからアキレス腱を切ってしまったことと矛盾するようなことを考えていた。

その日のうちにすぐに、週末開いている病院へ行った。
昼頃行って、ちゃんと先生に診てもらうまでには外は暗くなっていた。
診断は、やはり『アキレス腱断裂(Rupture of Achilles tendon)』だった。
先生が示した治療方法は2つ。一つは「手術」でもう一つは「(固定して)自然治癒」だった。
『切れたアキレス腱が自然に治るの?!』と質問した。治るらしいが、時間はかかるらしい。(そりゃそうだろう)
以前から気になっていたのだが、『切れたアキレス腱をどうやってつなぐの?』と訊くと、先生曰く「切れた腱の両端の繊維を一部分重ねて糸で縛る」という。
『なるほど。確かにつながりそうだ。』と納得。ただ、重ねる部分が多すぎると、“脚、短くなるんじゃね??”と頭に浮かんだが、それは質問しなかった。
結局、早くまた運動出来るようになる方は、手術だということだったので、すぐに手術することに決めた。
すると、病院側が、『明日、時間は分からないが手術できる先生がいそうだけど、今晩入院するか?』とオファー。このスピード感とざっくり感は、日本にはナイなと感心しながら、そうすることにした。

そのまま入院して翌日、夕方頃まで特に診察するわけでもなく病室で不安になりながら待機。
夕方になって、いきなり『これから手術室に行きます』と呼びにきた。
それまで、本当に大きな不安が1つあった。「体重」を一度も測っていなかったことだった。
アキレス腱の手術は全身麻酔で行うと聞いていた。そして、日本で「全身麻酔」で手術する場合には、“非常に僅かな可能性ですが不測の事態が起こることもあります”という承諾書へのサインをした上で、体重等をきっちり計って、それに合わせて麻酔の分量をきっちり調整してくれ、かなり慎重に事を進めるというのが自分の経験からも普通だった。
そういったプロセスが、手術室へ向かう移動式ベッドに載せられた時まで一切ないのだ!これはホントに焦った。

そして、いよいよ手術室に運び込まれると、麻酔医だろうと思われる男性が私のベッドの脇にやってきた。
最後のチャンスだと勇気を振り絞って、訊いた。

ワタシ『全身麻酔で手術するんですよね?』
麻酔医『イェス!』
ワタシ『体重測ってないよね??!』
麻酔医『ああ、けど大体70キロぐらいだろ!?』
ワタシ『た、確かに70キロぐらいだけど。。』
麻酔医『だろー!分かるんだよ。ノーウォーリー!!』
ワタシ『・・・・』(お前は、ドラマ『医龍』の阿部サダヲかー!!)

このとき、ほんの一瞬、“このまま目が覚めないで家族と会えないことも・・”という考えが脳裏をよぎったが、すぐに気持ちを強く持てと自分に言い聞かせたことを思い出す。

結果、手術は無事成功。
ちなみに、手術跡は、奥さんがいまだに『ザクザクだね』というくらい、日本ではあまりお目にかからないような粗い縫い目の手術跡だが、その後運動も出来るまで復帰できたので、きっと切れたアキレス腱の両端も“ガッチリ重ねて”縫い合わせたのだろうと思う。
実際、手術した方の右足が1cmくらい短くなっていて、スーツのズボンの裾合わせをするときに、いつも少し面倒な思いをする。
これは手術前に先生に質問はしていなかったが、予想が当たっていた。(決して嬉しくないことは、言うまでもないが。)

病院では強い気持ちで!!



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# by lateblooming | 2018-01-13 21:31 | オーストラリア赴任 | Comments(0)

娘がシドニーの現地校(ハイスクール=日本でいう中学校)に入学するために、英語による親子面接の機会があった。
英語での面接など、以前に経験のないことだったので、何を準備すればいいのかも分からないので、気持ち的には出たとこ勝負のようなものだった。そういった時は、小細工無しの本音でぶつかっていくに限る。

とはいえ、一応、志望している学校の入学が決まるかどうかという面接を英語でするということで、奥さんは面接前から緊張で顔面蒼白状態。一方、娘本人は相変わらずコアラのようにその様子からは緊張しているのかどうかすらイマイチ不明。ちなみに、私は初めての経験にやや場違いなワクワクモード。と、三者三様で面接に臨んだ。

面接には、その学校がカトリック系の女子校だったので、シスター(学校のトップ)も同席した。

今でも覚えているのが、面接中に、娘に対して質問された『タイムズ・テーブル(Times table)は分かりますか?』というのが、3人ともすぐに分からずちょっと焦ったこと。
少しして、それは「掛け算の九九」のことだと判明して、3人揃って『出来ます!(日本人ですから!!)』と答えた。

それ以外は、終始和やかな雰囲気で面談が進み。
シスターから娘に対して、『どうしてこの学校を選んだの?』と一番大事な質問が投げかけられると、娘は、『歴史のある学校だからです。歴史のあるものに興味があります。』と、自分のコトバで伝えることができていた。

私自身は、個人的に一番気になっていた『我が家は無宗教ですが、(カトリックの学校ということで)何か問題はありますか?』という質問をした。
シスターからは、『問題ありません。ただ、宗教の授業は比較的多くあります。宗教について知ることはどんな宗教の人にとっても大事なことだと思います。』という返答があった。
それは、まさに、子供にとっても、自分自身としても、「学ぶべきもの」と考えていたので、一番聞けて感銘を受けた言葉だった。

こうして、人生初の「英語で親子面接」が無事に終了し、その後、娘は3年間その学校に通うことになったのだった。

この経緯からは、自分の子供が“グローバルに育って欲しい”とか“英語が話せるようになって欲しい”と考えるのだとしたら、単に子供に期待するだけでなく、親自身もそういう目標やその為の環境に対する心構えや努力が必要だと感じた。

また、「面接」というものは、英語か日本語に関わらず、服装から受け答えまでマニュアルにこだわり過ぎずに、やっぱり自分らしいホンネを伝えることに力を注ぐことが大事なことだなと改めて思った。



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# by lateblooming | 2018-01-01 11:50 | オーストラリア赴任 | Comments(0)

“考えるな、感じろ!!(Don't think, FEEL!!)”
とは、ブルース・リーの名セリフ。

自分自身も、実際に見たり経験して感じることを大切にしたいと思っているので、気になることや好きなことは出来るだけチャレンジするよう意識している。

例えば、シドニーでの生活を始めたとき、せっかくなので、オーストラリアにいるときしか出来ないようなことをやってみたいと思い、『オーストラリアにある全13ヶ所のカジノに行く!』というのを、ひとつのプライベート・プロジェクトとした。
オーストラリアのカジノ施設は、国内に各州の主要都市にあるため「カジノを巡る=オーストラリアの主要都市を訪れる」ということでもあった。
とはいえ、オーストラリアの面積は日本の約20倍!週末に気軽に行けるところではなかったため、家族にも協力してもらい、長い休みがあるときには、旅行の行き先はカジノのある地域にしてもらった。

そして、シドニーに駐在していた5年間に、(日本へも2度しか帰らずに)せっせと巡り、最終的には帰国ギリギリながらも13ヶ所全てのカジノ巡りを達成!

実際に13ヶ所全てのカジノがとても賑わっているのを目の当たりにしたからこそ、以下のことは確信を持って言えるようになった。

1.カジノと観光の相性はバッチリ
オーストラリアの観光は大自然を売りにしたものが多い。昼間そういった観光を楽しんだ後、夜は賑やかな街中で食事したり、夜遅くまでやっているカジノで一杯飲めるというのは非常に満足度が高い。
ちなみに、オーストラリアのカジノがある13ヶ所の都市というのは以下の通り。実際に、観光地としても名立たるところばかり。

<カジノ施設のある州と13都市>
NSW:シドニー
ACT:キャンベラ
QLD:ブリスベン、ゴールドコースト、ケアンズ、タウンズビル
VIC:メルボルン
SA:アデレード
NT:ダーウィン、アリススプリング
WA:パース
TAS:ホバート、ランセストン

日本各地の観光地に、外国人観光客に「夜楽しんでもらえる場所」は十分にあると言えるだろうか?!

2.カジノのタイプや大きさは色々
「カジノ」と聞くと、ラスベガスや最近ではシンガポールのような大きなカジノ施設を想像しがちだが、大きさや施設のタイプは色々。
例えば、スロットマシンの台数で言えば、0台(テーブルゲームだけ)から約3,500台のラスベガス級の大型カジノまで様々。

日本では、カジノ施設を「IR(統合型リゾート:Integrated Resortの略)」と呼ぶこともあり、どうしても巨大な施設ばかりをイメージしてしまうけれど、日本の地方都市だったら、そんな大きなものは必要ないかなと思う。

3.カジノは地元の人たちも楽しめる場所
オーストラリアのカジノはどこも、観光客だけでなく、地元の人たちも集まってワイワイと楽しく食事をしたりする場所だった。特に、クリスマスやニューイヤーホリデーなどは、街中のお店は全部閉まっていたりするので、24時間開いているカジノ施設は夜遅くまで盛り上がるには最適の場所と言える。
地元の人たちが集まってくる場所なので、“コワイ場所”であるはずがない。
奥さんや娘とカジノ施設を利用して、ふたりが嫌な雰囲気を味わったことは一度もないと思う。

日本では、時々「カジノは外国人専用にすべき」とか「日本人は入場規制すべき」という声を聞くけれど、地元の人たちがその施設の恩恵を受けられないのがホントにいいことなのだろうか?と思ってしまう。


ちなみに、日本で現在進んでいる「カジノ合法化」ですが、その骨子として「日本全国で最大10ヶ所程度」というような考えが含まれているので、そういった点からも、「主要都市に13ヶ所」というオーストラリアのカジノは、日本の参考になる部分が多々あるのではないかと常々考えている。

また、日本では、時々メディアでも『カジノは人の不幸の上に成り立っているビジネスだ。』とか言って、声高に反対するひとのコメントを見かけると、とっても寂しい気持ちになる。
ただ、大体そういう人に限って、『もちろん、私はカジノなんて行ったことも、やったこともありませんよ!』とか自信満々で言っていたりして、逆に、“それで、何が分かるんだーー!!”と突っ込みたくなることがよくある。

と、自分が関わるビジネスだけに、ついつい熱くなってしまったけれど、沢山の色々な情報が氾濫する社会の中では、何事も最後は、自分が見て、触れて、感じたことを信じて進んでいこう!!



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# by lateblooming | 2017-12-30 11:54 | オーストラリア赴任 | Comments(0)

柔と剛の英会話法

英語で会話するとき、仕事の時よりも仕事以外のときの方が苦戦することが多い。

初めてシドニーに駐在していたときも、職場での現地スタッフと会話するよりも、娘の現地校クラスメートの親とする会話の方が難しいと感じることが多かった。

それは、職場ではトピックスが「仕事」の内容に限られるが、職場を離れたその他プライベート場所での会話はトピックスが「多岐に渡る」ということが大きな要因のひとつだった。

そういったプライベートで直面する難局に対するには、2つの英会話法があると考えるようになった。それは「柔の英会話法」と「剛の英会話法」だ。
例えてみれば、『北斗の拳』で言うところのトキの「柔の拳」とラオウの「剛の拳」といったところ。
さあ、どちらの“奥義習得”を目指すか?!

柔の英会話法
相手の提供するトピックスや会話に合わせて、聞き手に回る。
まさに、トキのように、相手の拳の力を静かに受け流しつつ、利用する!

実は、そういった“流派”があると気づかせてくれたのは、奥さんだった。
決して、彼女自身が英語に自信を持っているわけではないのだが、娘の現地校のお友達のお母さんと話をしている姿を見ると、非常にいい感じに会話が成立しているのだ。
その理由は、彼女が相手の様々なトピックスに対して的確な反応をすることによって、言葉のキャッチボールが出来ていたからだった。決して多くの言葉を発しているわけではないのだが。
私の分析によると、これを可能にしているのは、奥さんの「雑学力」と「耳のよさ」が大きいとみている。相手の繰り出すどんなトピックスに対しても持っている事前知識と、英語の単語を拾う耳のよさで、「タイミングよく反応」することで、相手に気持ちよく話させることが出来ていたのだった。

この流派は、興味の範囲がかなり限定されていて、リスニングが何よりニガテな私にとっては、かなりハードルが高いものだった。
そして、私が主にとったのは、その正反対の方法であった。

剛の英会話法
会話を自分の得意なトピックスに持ち込み、話し手に回る。
そう、ラオウのように、“ならば神とも戦うまで!”くらいの強い気持ちで、突き進む!

私の場合は、自分がある程度話が出来る「ビジネス」「日本のカルチャー」そして多少自分の好きな「映画・音楽」など、かなり限られたトピックスに会話が進むように、自分の方から積極的に話題を振ったり、質問したりする。
もちろん、ある程度相手が関心を持って、会話が続くような話を出来るということが重要。英語の下手さは内容でカバーすることを目指す。
自分のよく知る分野であれば、多少英語の聞き取りが困難でも、大体の話は分かるものである。


極端な例ではあるが、こうして、まずは「自分のやりやすいスタイル」を選んで英語での会話に臨むという方法で心のハードルを下げ、場数を踏んでいくとうのもよい方法ではないかと思う。

もちろん、最終的には、上記の柔と剛のバランスの取れた英会話を出来ることが理想であるというのは言うまでもない。
目指せ、英会話のケンシロウ!!


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# by lateblooming | 2017-12-28 10:27 | オーストラリア赴任 | Comments(0)

コアラな娘の成長

初めて家族一緒にシドニーでの生活を始めたとき、娘は小学4年生だった。

私自身は、自分が子供に出来ることは「成長の場を与えてあげる」ことと、時々“励ましのコトバ”(ヤジとも言う)を投げかけるくらいだと思っている。
そして、「家族一緒に海外」という経験は、彼女の成長にとってプラスになればいいなと思っていたし、そうなると信じていた。

実際、「動物占い」で“コアラ”だった娘にとって、オーストラリアの地はかなり合っていたようで、のびのびと育っていった。

それでも、一般的には、子供と一緒に海外へ行くというのは、学校やその後の進路のことを考えるとそんなに簡単な話ではなく、私が比較的能天気に考えていたこともあり、奥さんの方は、その分も相当時間をかけて情報収集をしたりして色々と考えていた。
特に、日本の会社の駐在員で海外に出ると、駐在期間が何年なのかはっきり見通せないことが多かったり、1年~3年くらいと比較的短い赴任期間だったりすることも、学校をどう選ぶか難しいところ。

自分も、なんとかすぐに“強制送還”されずに済んで、2年が過ぎると、
ある日、娘が「帰国子女」になっていた。
まあ、正しくは、日本に帰国する際には、“海外帰国子女枠で受験が出来る”ということなのだが、自分自身が大学卒業間際まで一度も海外へ行ったことがなく、長いこと「帰国子女」という響きに“別世界の人たちだ”という憧れのような気持ちを抱いていたことからすると、突然身内にそういった存在が出現したという事実は、なんとも不思議な感じがした。

そして、この我が家の“コアラな娘の生態観測”を通して、小中学校時代を海外で生活した経験を持つ人たちの苦労を多少なり理解出来るようになった。

以下が代表的なものだと思う。

まずは転校。
海外である期間生活するということは、日本から行って帰ってで最低2回の転校があるということだ。
自分自身は転校経験はないが、子供にとって日本国内ですらタイヘンな出来事である中で、慣れない海外への転校に対する不安の大きさは想像に難くない。

うちの娘の場合は、シドニーに来てから、
日本人学校(日本人だけのクラス):約1年
現地校に通うための準備校(日本人・アジア人ミックス):約1年
現地校(ほぼ全員オージーで他に日本人はほぼゼロ):約3年
と、段階を踏んでいるとはいえ、5年間で3校違う学校に通ったことになる。

そして、やっぱり英語。
特に、現地校に通うことになれば、英語で授業を受けて、英語で宿題をやって、英語で発表する。
習得能力の高い子供の頃であっても、決して簡単なことではないことは明らかだ。

家で必死に宿題やテスト勉強をする娘の姿は、サッカーボールだけ蹴ってた同時期の自分と比べて、間違いなくタイヘンそうだった。
英語の勉強は、学校に加えて、毎週土曜の午後は英語の教室にも通っていた。
非常に厳しい先生のもと4年間通い続けたことが、英語力の向上につながったと本人も自覚しているようだ。

最後に、英語と日本語習得のダブルプレッシャー。
これは、一番見落としがちだが、一番大事なポイントのように思う。
日本人の大部分は、“子供の頃海外に住んでた=英語はペラペラなんでしょ?”と勝手に思い込むようにDNAに組み込まれている。
そしてその一方で、子供にとっては海外に住んでいる間「英語(外国語)に触れる機会が多い分、日本語を習得する機会は減る」という事実はなかなか思い浮かばない。“日本人なんだから、日本語がちゃんと話せるのは当然でしょ。”と。
子供たちは、自分たちがそういった両方を期待されることを分かってくる。
つまり、英語の習得と日本語の習得のダブルのプレッシャーだ。

こういった「難しい環境を受け入れ、歯を食いしばって頑張る経験」を子供の頃にしているということが、私がこれまで会った子供の頃海外に住んだ経験のある人たちの魅力的な雰囲気を作り出しているのではないかと思うようになった。

ちなみに、うちの娘の場合も、本物のコアラの「鳴き声」をあまり聞いたことがないように、コアラな娘の「泣き言」もほとんど聞いたことがなかった。
そうやって頑張っていた成果として、少なくとも英語の面では、帰国受験で日本の高校に入る頃までには、TOEICで950点以上、英検準一級を合格するまでになり、話す方も“オージーイングリッシュ”バリバリで、私が聞き取れないくらいになっていた。

やっぱり“コアラ”が一番よく育つのは、オーストラリアなんだね。


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# by lateblooming | 2017-12-24 14:48 | オーストラリア赴任 | Comments(0)

楽しむ者は救われる

初めて家族一緒にシドニーで住むようになったときから、家族には「楽しいことを沢山して欲しい」と思っている。
こんな当たり前と思うようなことだが、海外生活をする上では、この「楽しむ」ということは結構大事なことだと思っている。
なぜか?
それは、どこの国であれ日本以外の国に住むということは、「日本より不便なコト」や「日本では体験しなくて済む辛いコト」は、必ず経験しなければならないことであり、嫌でもしょっちゅう起こるから、それを乗り越えるための「楽しさ」はとっても大切。

海外では、注文した物が予定通りに配達されなかったり、家の修理を頼んでもいつまでたっても来てくれないなんてことは日常茶飯事。
そして、一番ツライのは、やっぱり「言葉」の問題によるところが多い。そういったトラブルの時には「英語」で戦わなければならないから、完全アウェイの戦いを強いられる。言いたいことを全部出し切れないのは、気持ち的にもスッキリしないものである。
更に言えば、欧米諸国では、アジア人に対する人種差別意識も残っているところはまだ多いと思う。
実際、アジア人が多く住むシドニーですら、お店の店員から高圧的な態度で対応され、気分の悪くなることも意外とある。不満な態度を見せつつも、結局最後はついつい『サンキュー』とか言っている自分が腹立たしくなる。
そういったネガティブ要素を減らしていく意味でも「英語力」が大事なのは間違いないが、それには時間がかかる。
だから、イヤな気持ちを打ち消すだけの「楽しいコト」が必要なのである。

私の場合は、幸運なことに、「楽しいコトを見つける」という点で並々ならぬ嗅覚を持つ奥さんが、その力を存分に発揮してくれたことが大きかった。
特に、美味しい食べ物やオシャレなカフェや面白そうなイベントについての情報をキャッチしてくれたおかげで、家族一緒に沢山楽しい時間を過ごすことができた。

海外生活に生活に限ったことではないが、「ツライことに耐えられる力」もとても大事。
けれど、それよりも「小さなことを楽しめる力」の方が、よりハッピーな生活を送る為には大切だと思う。



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# by lateblooming | 2017-12-09 11:46 | オーストラリア赴任 | Comments(0)

遊びも本気で

自分の好きなサッカーを「英語で楽しもう」と現地の多国籍チームに入れてもらった。
さすが、“サッカーは世界のコトバ”、いいプレーをすればチームの皆にもすぐに分かって認めてくれる。私の場合は、『ゴールを決める』という形でなんとか自分の居場所を確保していった。

それでも、アマチュアの社会人サッカーとはいえ、そこは海外、これまで経験したことのないことで苦労することは多かった。
プレー面では、相手はオージーやヨーロッパ人、はやりデカイ!そしてパワーもハンパない。
特にキツかったのは、一見すると“小柄なおじさん”も、きっと「骨格」から違うのだろう、カラダをぶつけ合った時には、その衝撃はホントに戦意を喪失するくらいカラダの芯に響く。自ら岩にぶつかっていくイメージ。
精神的な揺さぶりもよくある。たとえ同じ年齢でも日本人は若く見られるので、『キッズは向こうのフィールドだぞ』とか『運転免許書見せてみろ』みたいな嫌味をフィールド内で相手チームから言われる。
勝負に対する熱さという点では、大の大人がゲーム中のつかみ合いや揉め事もしょっちゅう。
ある試合では、うちのチームのディフェンスがオフサイドの判定に不服で、そのままフィールドの外へ。こっちは、少し遠くから「人数いないんだから、頭冷やして早く戻ってきてくれよ~」とか思って見ていると、なんとそのまま荷物をまとめて車に乗って帰ってしまうではないか!それも、その時サッカー少年の息子君も観戦していたのに。「それ、子供にどーゆーお手本?!」と思わざるを得なかった。

加えて、自分にとって、英語によるコミュニケーションの壁はやはり高かった。
試合のハーフタイムや試合中に「戦術」の話をする際に、内容がちゃんと理解出来ないときが正直結構あった。皆が熱くなって議論している時に、『さっき何て言ってたの?』とか気の抜けるような質問は出来ないから、そんな時は、苦肉の策で試合中にみんなの「動き」で内容を理解しようと努めたりした。
更に意外とキツかったのが、試合後のアフターで、メンバーと一緒にコーヒーを飲みに行くとき。海外サッカーリーグの話題について行けないのだ。(海外リーグの知識は素人並みなワタシ。)
そうして、アフターからは足が遠のくことになる。

困ったことに、コミュニケーションの面で不安があると、プレーが調子が悪くなったときに、どんどん負のスパイラルに入っていく。数試合ゴールが決められない試合が続いたとき、チームメートから言われたコメントが重かった。

『ゴール決められないなら“契約解消”だぞ。』

そもそも契約なんてないし、冗談のような口調ではあったが、やっぱり自分は「外国人プレーヤー」のように見られてるんだと痛感。試合に行くのに気が重くなるようにまでなっていった。

その状況を変えるきっかけを与えてくれたのが、チームのプレーイングマネージャー的な存在のオランダ人Mだった。
彼は、10歳近く年上で、元Astronaut(宇宙飛行士)だというなんだかスゴイ人だった。
そのMが、ある日新しいユニフォームを作ったと言って、メンバーに配り始めた。
驚いたことに私に手渡されたのは、背番号「10」だった。それもFCバルセロナのレプリカユニフォームで!
そのときから、自分の考え方が変わった。
『とにかくなんでもいいからチームに貢献するプレーをしよう。』と。
不思議と、そう思うようになってから力みが無くなったのか、ほぼ毎試合ゴールを決められるようになり、結局のところ「ゴール」でチームの勝利に貢献出来るようになった。
アフターやチームの飲み会にも出来るだけ参加するようにした。

そのシーズン、チーム内の「得点王」に選ばれたのも嬉しかったが、何より一番嬉しかったのは、チームメートが投票で選んだ「年間MVP」に選ばれたことだった。

こんな、シドニーでの“海外移籍組Jリーガーの超プチ体験”を振り返ってみると、日本人選手が海外で活躍するために重要なキーワードが見えてくる。
実際、これまで、欧州のサッカーリーグで活躍した(している)日本人選手と思うように結果が出せなかった選手について思い浮かべて見てみると、かなりの部分説明できているのではないかと思う。

1.コミュニケーション能力
外国人との意思疎通が出来るか。もっとはっきり言うと「外国語」の習得度。
監督やコーチ、そしてチームメートの話を自分自身で正しく理解することは必要不可欠。
試合中に隣に通訳はいてくれない。

2.チームにない自分の強み
他のメンバーがもっていない強みがあるかどうか。
例えば、ダイナミックでやや大味なプレーをするチームの中では、日本人的な緻密で繊細なゲームコントロールやパスワークは重宝される。しかし、同じ選手が、機敏性の高さとパスワークが売りのチームの中では(同様の能力を持ったメンバーは既に多くいて)意外と埋もれてしまう可能性もある。

3.理解者の存在
自分の強みを理解してそれを生かしてくれるような理解者(サポーター)がチームにいるかどうか。
それが監督であると一番いい。そして、チーム内の主力メンバーに「パートナー」と呼べる信頼できるような仲間がいると大きい。


ついつい、熱くなって、長々書いてしまったが、実のところ自分にとって一番大きかったのは、結局はいい仲間との出会いと、そこからの「気づき」だったように思う。

チームメンバーは、元宇宙飛行士をはじめ、大学教授、航空会社のCFO、銀行のエグゼクティブ、現地アパレル会社のトップ、動物園のマネージャー等々、仕事の面でも成功している人たちばかりだった。
そして、何が一番驚いたかと言えば、こういった人たちが、「日曜日の早朝に、毎週休まずサッカーに来る」ということだった。

“デキる男は、遊びも本気。”

これを目の当たりにし確信できたことが、一番の収穫だった。

それからは、自分も、プライベートの時間や家族と一緒の時間は、思い切り過ごすようにしている。


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# by lateblooming | 2017-12-03 12:53 | オーストラリア赴任 | Comments(0)

好きなことを英語で

プライベートでも英語を使える時間を持てたらいいなと考えた。
そうは言っても、ネイティブスピーカーの中に「丸腰」で飛び込んでいける程の英語力も度胸も持ち合わせていないことは自覚していた。
それなら、自分の好きなことや得意なことをきっかけに入っていくのはどうだろうと考えた。
自分にとってはそれは「サッカー」だった。

以前、初めての海外赴任だったシンガポール時代には、現地の日本人の駐在員サッカーチームに所属して、今でも交流が続く素晴しい「仲間たち」に出会えた。
アマチュアサッカーとはいえ、毎週末、外国人駐在員チーム相手に“日本代表”として、気温30度の暑い中、熱い戦いをしていたことも純粋に楽しかった。

そして、2回目の海外赴任地であるシドニーでは、新たなチャレンジとして「外国人チーム」に入ってみたいと考えた。
いきなり実行に移したわけではなく、まずは日本人の友人が入っている地元のオージーチームに一緒に混ぜてもらった。幸運なことに、シンガポール時代のチームメートKさんがシドニーに赴任していたのだ。

少し経って、現地のサッカーのレベルやプレーの特徴なども大体分かってきた頃、ある日、そのチームの対戦相手で、どうもオージーだけでなくヨーロッパ系の人達が多いと感じるチームがあった。そしてとても強かった。
『このチームがいいな』と思った。

ある週末、そのチームが試合をしているグランドに行き、そのチームメンバーの一人に思い切って話しかけた。
『チームに入れて欲しい。』

実際に入れてもらった後に、そのチームが思っていた以上に「多国籍チーム」であるということが分かった。
メンバーの出身地は、地元オーストラリアに加えて、イギリス、ドイツ、オランダ、フランス、スコットランドなどヨーロッパの国々が中心だった。
その中で、日本人、アジア人は自分一人だけであった。

こうして、エキサイティングさと苦悩が入り混じった、ある意味“欧州移籍組Jリーガーの超プチ体験”をプライベートで経験することになった。



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# by lateblooming | 2017-11-25 10:47 | オーストラリア赴任 | Comments(0)

習うより慣れろ作戦

シドニーの現地人女性が教えてくれる英会話レッスンがあまりしっくりこなくてやめた後、
他の英語学校や英会話の個人レッスンを探すという方法もあったが、自分が選んだのは「習うより慣れろ作戦」だった。
まあ、「作戦」と呼べるほどのことではないかもしれないが。

ただ、『事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!』(by 青島刑事)ではないが、『仕事の問題は職場で起きてるんだ!(当たり前だ)それに英語の問題は会議室でも起きるんだ!!(むしろより深刻に!)』(by ユウイチ)ということで、実際、待ったなしの状態であり、あんまり悠長に構えている余裕はなかった。
そうして、仕事を通して英語の改善を図ることに集中しようと考えた。

ローカルスタッフとの英語でのコミュニケーションで意識して徹底したことは、いたってシンプル。

「用事は直接会って話す」

ほぼ、この一点に集約される。

何か確認したい用事があるときは、“まずメール”ではなくて、一本内線電話で『今、話せる?(Can I talk to you now?)』と伝えて、即座に相手のデスクまで向かって話をすることを繰り返した。

これは主に以下の点で効果があった。
(1)相手の表情がわかる
表情や声のトーンは、英語の理解力の補足になる。特に、ポジティブ/ネガティブのニュアンスが掴みやすい。
(2)飛び道具が使える
いざとなったら、筆記や身振り手振り。
(3)個別の英語の特徴に慣れる
人によって発音の聞き取りやすさが異なるが、直接話すことを続けると結構慣れてくる。これが結構大きかった。

もちろん、直接話しに行っても、英語で一方的にまくしたてられて上手く言い返せなかったり、何度言っても通じなかったり、こちらの稚拙な英語の誤りを指摘されたりと、悔しい思いをすることは数え切れなかった。

ただ、こういった「英語でのリアルなコミュニケーション」こそが、日本では体験できない貴重な経験であり、自分が求めていたものだったので、歯を食いしばって踏ん張る日々だった。

そして、コミュニケーションを繰り返すことで、お互い相手に対する理解が進み、徐々に信頼感も増し、なんとか職場での英語での仕事を回せるようになった。

最終的に、日々の職場での仕事を通じて得た、本当に一番大事な学びは、

「信頼感」が仕事の質と効率を上げる。

という、日本でも海外でも変わらないコトを再認識したことだったかもしれない。


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# by lateblooming | 2017-11-18 15:18 | オーストラリア赴任 | Comments(0)

現地で英会話レッスン

シドニーで仕事をはじめると、やはりローカルスタッフとの英語のコミュニケーションで苦戦した。
相手の話す英語がなかなか聞き取れないうえ、こちらが話す英語もかなり聞き取りにくいようで、“話し相手の眉間にシワが寄る”のを見るのはツライものがあった。
自分でも「英語の発音」については、ちゃんと教わったことも自分で勉強したこともないままきていたので、『なんとかしたい』とは感じていた。

そこで、日本人に英会話を教えることで定評のある現地人女性先生のプライベートレッスンに通ってみることにした。発音なども教えてくれるようだったので、特にその部分に期待した。

ただ、しばらく通ってみたが、自分の求めていたようなレッスンとは違っていると感じるようになった。

まず、日本人が一番勘違いを起こしやすいこととして、“海外の英語学校や現地の先生の方がいいに決まっている”ということ。しかし、そんなことはナイ。
むしろ、日本にある英会話学校の方が、日本人の英語のクセを良く知っているという点では、むしろポイントをついた教え方が出来る可能性もある。
それに、日本でも英語ネイティブの先生に教わることは出来る。
そういった点では、日本で英会話学校に通いまくった自分にとっては、現地でのレッスン内容は、日本の駅前留学系のプライベートレッスンとほとんど変わらないものに感じてしまったため、「新たなチャレンジ感」があまりなかった。

そして期待していた「発音」の部分だが、英語の発音を学ぶことの難しさを改めて感じた。
学ぶことの難しさと共に、日本語を話せない外国人ネイティブスピーカーが日本人のオトナに英語の発音を教えることの難しさと限界も見えた気がした。

逆の立場になってみると、そのことがよく分かると思う。
例えば、先生は英語片言で日本語ペラペラの自分。
生徒である日本語習いたての外国人に「日本語の発音」を教える場面を想像する。

日本人先生:『日本語の「たちつてと」を発音してみてください。』
外国人生徒:『Ta、Ti、Tu、Te、To』
日本人先生:『もう少し日本語の発音に近づけてください。「た・ち・つ・て・と」です。』
外国人生徒:『ター、ティ、トゥ、テー、トー?』
外国人先生:『先生教えてください。「ち」は、舌はどのあたりに置いて、音は口の中のどの辺りから発するのですか?』
日本人先生:『え?!舌の位置?口の中のどの辺りから??』

要するに、英語でも日本語でも、自分が母国語として話す言語を、外国人に教えるというのは、ただ会話を教えられるレベルとは“別次元の”能力や知識が必要だということ。

子供は英語の発音を「耳」で覚えられるが、オトナは「頭」で(理論的に)覚えなくては覚えられない。
そう考えるようになった。

更に言えば、そういった教え方を出来る英語の先生に出会ったことは、自分自身はまだ一度もなかった。きっと、私だけでなく、ほとんどの日本人がそうなのではないだろうか?
だから、日本人が英語の発音がニガテなのは、しょうがない部分が多いと思う。ちゃんと教えられる機会がないのだから。
正直、これは自分への言い訳でもあるが、あまり出来ないコトに悲観的にならないように、開き直って出来ることから手をつけるのも大事かなと思う。

そういった気づきが得られたのはプラスであった。


そして、なかなか思うように発音レッスンが進まないと感じた現地人女性の先生が出してきたのは、有名な英語の児童書であるドクター・スースの「キャット・イン・ザ・ハット(The Cat in the Hat)」だった。それを音読するようにと。
確かに、このシリーズは、小さな日本人の子供達には、英語に触れるという点でもとてもいい教材かもしれないなとは思った。つまり、「耳」で覚えるというやり方だから。

同時にそれは、「頭」で学びたい自分には合わないやり方だと思った。
何より、海外で戦おうとする「ビジネスマン」にとって、やはり「児童書」をただ音読させられるのは、モチベーションが全く上がらなかった。

そうして、しばらく通ってから、そのレッスンはやめることに決め、“違う作戦”で事態の改善に取り組むようにした。


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# by lateblooming | 2017-11-12 16:45 | オーストラリア赴任 | Comments(0)

オーストラリアと言えば、『グダイ・マイト!(Good day, mate!)』に象徴されるように、なんとなく親しみを感じ、なんかカジュアルで、英語がちょっとなまってる?!というイメージ。

シドニーでの生活を開始してみると、まあ大体そのイメージ通り。
加えて、気候の良さや水に囲まれたスペースの多い街並みなどは、予想していた以上に心地良く、日本人にとっても住みやすい環境であると言える。

ただし、言葉(英語)については、逆に、思っていた以上にタイヘンさを感じた。
赴任してすぐに、会社のローカルスタッフが話していることが、全然聞き取れなかったことに衝撃を受けた。
聞き取れないということは、話している内容が理解できないわけだから、会話が成り立たないことになる。

その時、以前シンガポール赴任前に日本で通っていた英語学校のアメリカ人男性講師から投げかけられたコトバを思い出した。

『シンガポールか。これでもう英語の上達は止まるね。』

ようは、アジア人が話す英語と、ネイティブスピーカーの英語では、そこには大きな大きな差があるということなのだ。
シンガポールにいた3年間で、英語が多少話せるようになったと安心していた自分が完全に甘かった。

オーストラリアでの英語タイヘンポイントは、

1.ネイティブ・イングリッシュ
当たり前ではあるが、オーストラリアは「母国語が英語」の国である。
アジアの国々で耳にする英語とはちがい、バリバリのイングリッシュで容赦なく話しかけてくるので、何と言ってもリスニングが相当キツイ。

例えば、ネイティブ・スピーカーから『あなたは英語話せますか?(Do you speak English?)』という質問が早くて聞き取れなかった時、こちらとしては、『もう一度言ってくれませんか?』とお願いし、ゆっくり
“ドゥ~ュ~スピーーク、イングリーッシュ?”とか、言ってくれればいいなーと思う。
しかし、彼らが期待通りに繰り返してくれるケースはほとんどなく、あるとすれば、
①もう一度、同じことを同じスピードで言い直す。
または、
②『あなたは日本人ですか?(だとすると英語はあまり得意ではないのかな?)』と言い回しを変えて言い直すケースが多い。当然、この場合も話すスピードはネイティブスピードでくるので、状況の打開にならずに涙することが多い。

2.英国系の英語
我々が一般的に学校で学んできたのは、基本的にアメリカ系の英語だが、英国連邦の一国であるオーストラリアの英語は英国系の英語。つまり、今まで知っていたり使っていたりする英語とは、単語が違ったり、言い回しや発音が違ったりすので、これまた一苦労。

簡単な例でいうと、ファーストフードやコーヒーの持ち帰りの時に日本で使う「テイクアウト」。
アメリカであれば、そのまま「テイクアウト(Take out)」(や「トゥ・ゴー(to go)」)でOK。
オーストラリアでは、一般的には、「テイク・アウェイ(Take away)」という言い方をする。
こういうちょっとした違いも会話などに入ってくると、『ん??』と思っている間にぶっちぎられる。

発音が大きく違う代表例は、例えば、『それは出来ません(I can't do it.)』の「Can't」。
我々が馴染みのあるのは、アメリカ系の「アイ・キャント・ドゥ・イット。」
オーストラリアでは、英国式の「アイ・カーント・ドゥ・イット。」
当然ながら、シンガポール仕込みのシングリッシュ「キャノッ・ラ~(Can not lah~)」は全く通じません。

2.オージー・イングリッシュ
英国系の英語だけでもやっかいなのに、更にそこにオーストラリア独特のアクセントやナマリが入ってくるから、これまたタイヘンさアップ。
特に男性は、あまり口を開けないでモゴモゴこもった声で話すケースが多く、女性よりもアクセントが強くて聞きにくいと個人的には感じる。
同じ英語なんだから、そんなに違わないでしょーと思うかもしれないが、実際、同じ会社のオーストラリア人がアメリカ転勤になってすぐ、ランチを買いに行ったアジア料理店でオーダーすると、店のおばちゃんから、

『あんたは何語で話してるんだね?(Which language are you speaking?)』と聞かれて、
『イングリッシュ!(English!)』と大声で返答したというエピソードを聞いた。

同じ英語といっても、そのくらい差があるということである。

こうして、なかなか英語のハードルが高いシドニーでの生活が始まった。


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# by lateblooming | 2017-10-21 15:44 | オーストラリア赴任 | Comments(0)

家族で海外へ

独身時代に3年間のシンガポール赴任を経験できたので、日本に戻ってからは、『できれば次は家族で海外へ行きたいな』という想いがあった。
そして、日本での転職を通じて、幸運にもオーストラリアへの赴任は、奥さんと娘と共に家族一緒に行けることになった。

私自身は、単純に、たとえどの国であっても家族と一緒に行くと決めていたけれど、一般的には、実際に海外駐在の機会に直面した場合には、考えなければならないことは少なくない。子供が一緒ならなおさらだ。

主なものだけでも、

何より、その国は「安全」なのか?
その国は「英語圏」なのか?そうでなくても、日常的に英語は通じるのか?
子供が通える日本人学校はあるのか?無い場合、日本語の補習校などあるのか?
日本にいる両親や家族とも会う機会が減るが大丈夫か?
家族が新しい生活環境、それも右も左も分からない海外の生活環境に馴染めるのか?

といったことが挙げられる。
そう考えると、「どこの国か」と「タイミング」は非常に重要となる。
やむを得ず、家族と離れ離れで「単身赴任」という決断も容易に考えられる。

更に、上記の要素を家族内でクリアしたとしても、意外とハードルになったりするのが、「会社としては単身赴任で行ってもらいたいと思っている」ケースが結構あること。

当たり前ではあるが、家族帯同での赴任はそれだけ費用もかかる為、会社負担は増える。更に、本人だけでなく家族の問題が発生した場合や、発生しないようにする為の対応もしなければならない。
そして、本人に対しても「家族がいるとその分仕事に集中できない」と考える。(悲しいかな、そういった考えの会社の上層部は意外と多い)。
ちなみに、この部分の対策として、私は自身は、海外行きの話が出たときから『家族一緒が条件』ということだけはことある毎にしつこく強調していた。

このようなタイヘンなことがあると、『そこまでして、家族で海外に行く価値ってあるの?』と言いたくもなるかもしれない。

それについて、私は、

『家族で海外に住む経験は、タイヘンさ以上の価値がある。』

と信じていたし、今現在も確信を持って言える。


そうして、シドニーでの仕事、そして家族一緒の初海外生活を開始した。


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# by lateblooming | 2017-10-14 12:12 | オーストラリア赴任 | Comments(0)

本場を目指す

転職したK社は、ラスベガスとシドニーにゲーミング事業の拠点を持ち、カジノ機器の開発・製造・販売を行っていた。

すぐにではなくても、そのどちらかの拠点で仕事をしたいというのが、達成したい一番のことだった。

アメリカとオーストラリア、どちらもゲーミング(カジノ)ビジネスがしっかりした規制の下に存在する「本場」であり、何よりどちらも、言うまでもなく「英語の本場」であるので、間違いなく自分にとってはチャレンジングな場所であり、得られるものは少なくないと感じていた。

K社では、すぐにゲーミング(カジノ)関連の事業に携わったわけではなく、経営企画部門に配属となった。
ゲーミング事業は、幾つかある事業のうちのひとつであり、一番大きな事業は、「ゲーム事業(家庭用やゲームセンター向け、そして、その頃ちょうど最初の盛り上がりを見せていた携帯向けのソーシャルゲームの事業)」だった。
経営企画の仕事を通して、主力事業のゲームビジネスについても関わることになったのは、その業界が直面する課題やその動きを知ることができて、とても良い経験になった。
当時のゲーム業界全体の方向性としては、国内市場は少子化の傾向もあり飽和状態に向かっているため、より海外市場へビジネスを拡大することが重要視されていた。そうなると、ターゲットとして重要になってくるのは、アジア市場である。
勢いのあるアジア市場に関わることは、シンガポール時代の経験も活かせることが多そうであり、仕事としてもやりがいを感じるものだった。

そうした私の気持ちが見えたのか、入社して数ヶ月経った頃、経営企画部の上司から、ふとした時に質問をされた。

『「アジア」と「ゲーミング」だったら、どっちがやりたいですか?』

一瞬考えたが、

『ゲーミング(カジノ)です。』とはっきり答えた。

それからしばらくして、シドニーにあるゲーミング事業の拠点への異動が決定した。

転職して半年強、「本場」でのチャレンジに向けて動き出した。


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# by lateblooming | 2017-09-24 13:00 | 日本で転職 | Comments(0)

本物の現場経験を求めて

遠いところに目標を定めて、そこにどうやって辿り着くのかを考えるのが好き。

シンガポールから日本へ転職して、「カジノビジネス」という日本には未だ存在しないグローバルなビジネスとそこに関わる優秀で魅力的な人たちと出会えたことは大きな収穫だった。

一方で、当時は「小泉内閣」の時代で、日本でのカジノ実現が最初に一番盛り上がっていた時期であった。特に、内閣構造改革特区という制度を活用してのカジノ実現を目指す動きが全国各地で見られたが、結局実現には至らなかった。
そういった中で3年程、日本におけるカジノ実現の動きに関わって感じたことは大きく3つ。

日本でのカジノ実現は
『まだしばらくかかるな。』

ただし、日本にカジノは
『いつか必ずくる!』

そして、それなら、将来の日本のカジノビジネスには
『絶対関わりたい!!』

こうして、遠くの目標が決まった。

そこにどう辿り着くか?
時間がある分、その間に、海外には既に長い間存在しているカジノビジネスの「本物の現場」を見てみたいと思った。その経験はきっと役に立つだろうと。

そして、当時、日本の会社では2社、海外のカジノ市場に(機器メーカーとして)参入している会社があると分かり、そのうちの1社に転職を試みることにした。

その会社が自分のような人材を募集していたわけではなかったので、直接履歴書を送ることにした。

そして、その会社への転職が決まった。



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# by lateblooming | 2017-09-16 10:59 | 日本で転職 | Comments(0)

海外MBAに興味を持って通ってみたGMAT対策コースでは、要求されるレベルと自分の実力のギャップが大きくて毎回チンチンにやられていたが、その中で面白いなと思ったのは、「外国人の思考回路」に少し触れることができたこと。

どういうことかと言うと、そもそもGMATという試験は、主にアメリカでMBA(経営学修士)を取得するために通うビジネススクールに入学する為の試験なので、スゴく大雑把に言ってしまうと、「アメリカ人とやり合えるのか(議論できるのか)」ということを測るテスト。
そういう点から考えると、その勉強を通じて、“アメリカ人(外国人)の思考回路”を垣間見ることが出来るし、そう考えると、アメリカに住んだこともない純日本人の自分にとっては、その考え方自体が新しい発見であった。

特に、GMATのVerbalのセッションの勉強ではそれを感じた。
Critical Reasoningという問題カテゴリーがあって、その中で重要な基本的概念のひとつにassumption(アサンプション:仮定)というのがある。

カンタンな例を挙げるとすれば、下記のようなことだ。
山田さんとケンさんの会話。

山田さん:『鈴木さんは「帰国子女」なんですよ。だから、彼女はあんなに英語が上手に話せるんですよ。』

日本人のバアイ、山田さんが信頼できるか信用できないかで、話の信憑性を測ってしまいがち。または鈴木さんがどんなヒトかを思い浮かべてしまったり。悪いクセだが、それが日本人だ。

しかし、外国人のケンさんは、この話の矛盾を「論理的に」攻撃しなければ気が済まない。当然、議論を挑む。
そして、その時の有効な基本セオリーが、相手(山田さん)の「仮定(隠れた前提)」を攻撃するということ。

その仮定は何かと考える。
そう、山田さんの論点のよりどころ(つまり仮定)は、「子供の頃海外に何年か住んでいると英語が話せるようになる」ということ。

そして、ケンさんは、ニヤリと笑ってこう言う。
ケンさん:『彼女は確かに帰国子女ですが、住んでいたのは中国です。一番得意な外国語は中国語ですよ。』

山田さんは、慌ててこう言う。
山田さん:『じゃあ、何で鈴木さんは、あんなに英語を話せるんだよ!?』

ケンさんは、待ってましたとばかりに、とどめの一撃をくらわす。
ケンさん:『彼女は、日本に住むようになってから、英語の学校で一生懸命勉強をして英語が上手に話せるようになったんですよ。帰国子女だから英語が話せるワケではありませんよ。だから、ヤマダサンも、もっと英語の勉強した方がイイですネ~』

山田さん:『・・・』

こうして、議論に打ち勝ってすっきりしたケンさんは、もうその話は終わり。
『ヤマダサン、この後一緒に飲みにイキマショー。』と誘う。
完膚なきまでに議論に敗れた山田さんは、ケンさんには「面倒くさい議論好きのガイジン」という印象を持ち、さらには、ケンさんのことはもちろん外国人と議論すること自体を極力避けるようになる。

と、最後の部分は余計だが(意外と重要でありがち)、こういった議論のセオリーを学ぶというのは新鮮な面白さがあったし、大事なことだなと今でも思う。

また、GMATの勉強もいいかもなー


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# by lateblooming | 2017-09-02 11:35 | 日本へ転職 | Comments(0)

超難敵GMAT

渋谷にあるMBA予備校に週末通ってみることにした。
そこでは、「GMAT」という試験の対策コースを受講した。

海外MBA(経営学修士)を取得するためには、当然ながら海外のビジネススクール(大学院の経営学部)に入学出来なければはじまらず、そこに入学するためには、英語力(TOEFLのスコア)や英語のエッセイはもちろん、多くの学校で「GMAT(Graduate Management Admission Test)」のスコアも必要になる。
正直、そんなことも海外MBAに興味を持って初めて知ったことだった。

参考までに、GMATの試験はというと、ライティング(AWA)、総合分析能力テスト(Integrated Reasoning)、数学能力テスト(Quantitative/Math)、言語能力テスト(Verbal)の4セクションで構成されていて、一言で表現するのであれば『とーっても難しいテスト』ということだ。

それをイチから予備校で学ぼうとすると、確か3ヶ月くらいのコースで授業料50万円くらいは余裕で吹っ飛ぶ破壊力があったと記憶している。

そして、正直に白状すると、自分の英語力の実力では全くといっていい程歯が立たなかった。
当時の私の英語力は、TOEIC800点ちょっと、TOEFL580点、そしてオトナになってからシンガポールで3年間の駐在経験をプラス。
そのレベルでGMATを勉強してみて気づいた主なことは、

Verbal(英語の国語みたいな感じ)セッションは、基本的に日本人には相当難しいレベルと言われている上に、自分の英単語力では知らない単語が多過ぎて、問題が問う議論の論理性の部分まで踏み込み切れず。

Math(英語でやる数学)セッションは、“日本人はここで点数を稼ぐ”と言われているセッションで、実際、腐っても大学では理系だったので、数学の問題としては決して難しくはないが、「問題文が英語」なので問題の主旨を理解するのに大苦戦(涙)。

そして、GMAT対策コース全体を通じて感じたのは、すごい「詰め込み型」の勉強と急速なスコアアップが要求されるということ。一定期間で必要スコアを取って早く実際のMBAの勉強を始めるという目標にとっては当たり前ではあるが、実力が伴わないと相当キツイ。
特に、ワタシ自身が、「ゆっくり成長型」を自覚しているので(=言い換えると、成長出来たとしてもゆっくり=はっきり言うと、急激に成長できる自信がない)、背伸びしすぎたかなという感は否めない。

ただ、通ってみて良かったなと思うこともあった。


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# by lateblooming | 2017-08-26 15:02 | 日本へ転職 | Comments(0)

海外MBAへの憧れ

オーストリアのカジノ企業の優秀なジェントルマン達と仕事をする機会を通して、もっとグローバルに仕事ができるようになるために、『ビジネスをもっと勉強したい』という気持ちが強くなった。

日本の多くの会社がそうであるように、しっかりした仕事をする上で「経験」というものを重視されるなかでは、一つの部署や部門、担当する仕事を「長く続けて」「深く知る」ことが大切になる。
実際自分も、最初に勤めたメーカーでは、「購買(部品買い付け)」の延長線上に「海外調達」があり、そして「現地調達拡大プロジェクト」に繋がってシンガポールで仕事をする経験に恵まれた。
だから、ビジネスにおける「経験」の大事さについては全くもってその通りだと思う。

しかし、その一方で、「視野が狭くなる」という弊害ももれなく付いてくる。会社の中の違う部門の仕事に非常に疎くなってしまいがちだ。
自分自身も、経理や財務、営業、人事、総務などの人たちが一体どんな仕事をしているかなどまともに考えたこともなかった。
そのようなことでは、当然ながら、グローバルにビジネスを展開する会社のマネジメントの人たちと対等に仕事をするためには相当ムリがある。
そういった自分自身の能力のギャップを埋めるためにも、ビジネスの勉強の必要性、その象徴である『MBA(Master of Business Administration:経営学修士)』を取得するということに非常に関心を持つようになった。

と、もっともらしい理由を並べてみたが、もっとカンタンに言ってしまえば、

“「MBA」への憧れ”

と言えると思う。

実際に、オーストリアのカジノ企業幹部の面々の多くが、MBAを取得しており、名刺やホームページの肩書きには「MBA」の文字が記載されているのを見るにつけて、『やっぱり、そーゆーもんなんだな~』と妙に納得したものだった。

たぶん、私にとっては、

「帰国子女」が、英語(外国語)を身につけたカッコいい人たちを象徴する言葉であるのと同様に、
「MBA」は、ビジネス(マネジメント)がバリバリできるカッコいい人たちを象徴する言葉なのだと思う。

しかし、一番の違いは、今から「帰国子女」にはなれないが、「MBA」は今からでもムリではないということだ。

そうして、週末に「MBA/大学院留学予備校」に通うことにした。



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# by lateblooming | 2017-08-19 12:43 | 日本へ転職 | Comments(0)

スポーツのチームでも職場でも、気の合うメンバーと一緒だと楽しい。
更に、他のメンバーが自分よりも上手だったり優秀であったりした方が、いい刺激を受けることができるので私は好きだ。

3年のシンガポール生活から日本へ帰って入った小さなコンサルタント事務所では、そういう「仲間」に恵まれた。
職場の主要メンバーは、

アメリカで学生をしていた英語バッチリ(でその分日本人感覚が薄めな)Yちゃん、
ドイツ人クォーターで英語とドイツ語を巧みに操れるMちゃん、
シンガポール人の彼女(後に結婚)がいてシンガポール時代のサッカー仲間でもあるT、
そして、英語はそんなに得意ではないがタイが好きでタイ語が少し話せるウェブ系担当のOちゃん

と、個性派ぞろいだった。

そういったメンバーと一緒に、オーストリア・カジノ企業の日本進出サポートプロジェクトに携わっていた。

主な業務として、カジノ誘致に関心を持っている地方自治体の方々に会って話を聞いて、そのオーストリア企業を紹介したり、逆にその情報を英訳してオーストリア企業に伝えたり、時には来日した企業幹部と一緒に視察に行ったり、その反対に日本の関係者がオーストリアのカジノ施設を視察したりするのに同行したりした。
一番難しく、いい経験になったのは、日本のカジノ合法化に向けた微妙な政治的ニュアンスや市場としてのポテンシャルを間違いのないように伝えると同時に、そこに対する戦略的なアプローチについて、しっかりと理解してもらえるように「英文で説明」する仕事だった。

そういった仕事自体も非常に面白くやりがいがあったが、同時にこういった仕事を、「仲間」と呼べるようなメンバーと、毎日のように、お互い独自の世界観で自分が思うことをああだこうだと話し合っていたことは、色々な面で刺激があった。
特に、自分のやりたい事やその為にすべきことについて考えを整理すのにとても役立った。

そういった日本での生活が2年くらい過ぎると、次にチャレンジしたいことがだんだん見えてきた。
それはやはり海外にあった。




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# by lateblooming | 2017-08-12 12:50 | 日本へ転職 | Comments(0)

子供の耳になる装置

“小さい子供は海外に住んだら英語もすぐに話せるようになる”
そんなような話を聞いたことがある人は多いと思う。

わたしなんかは、ガチガチ日本人で、社会人になる寸前まで海外に行ったことすらなかったので、『帰国子女』と聞くだけで、英語の面では自分とは別世界の人たちで羨望の思いを感じたのが正直なところだ。
もっと言えば、『帰国子女』の言葉は、イチロー選手やキング・カズに匹敵するくらい、想像できないほどの能力の差を感じてしまったと言っても言い過ぎではないかもしれない。
オトナになってから、『子供の頃に海外にいたら英語が出来たのにな~』とか、タラレバ娘ならまだ可愛いものだが、タラレバおじさんは見苦しいだけだから、そんなこと言うのはやめるしかない。

しかし、実際のところ、中学の英語の教科書にカタカナをふって読んでたところからスタートしたこともあり、シンガポールに3年いたくらいでは、英語のリスニングは依然苦手意識がいっぱいだった。

そんなときに、

“トレーニングで子供のような柔軟な耳になって、英語ももっと聞き取れるようになる。”

というような、「○○博士の考案した○○メソッド」なる情報を見てしまったら、とても無視はできなかった。すぐに話を聞きに行った。

10万円か15万円するプログラムで、耳のトレーニングをするというノートパソコンを一回りかふた回り大きくしたような結構レトロな装置を使って自宅でするものだった。高いなとは思いながらも、レトロな装置も、なんか○○博士が発明したみたいなイメージがするし、なんといっても英語が聞ける耳になったら安いものだと思ってはじめることにした。

そのトレーニングというのが変わっていて、高周波のガサガサしか聞こえない音をただ一日数時間ヘッドフォンで聴くというもの。その間は、日本語を見たり考えたりしてはいけないということで、これが意外ときつかった。ただ、絵を描いたり寝たりしてもいいとのことだったので、寝るときにヘッドフォンをして寝ることが多かった。
ちなみに、高周波のガサガサ音は、胎児がお腹の中にいるときに聴こえるという英語の音らしかった。

そして、30時間とか40時間とかいう時間の「トレーニング」(ほぼ寝てたが)を終えて、耳の状態をチェック。
正直、自分では耳の状態がどう変わったのかの感触はまるでないが、とりあえずチェックしてもらって話を聞くことにした。

チェックの方法は、プログラム開始前にある英文を渡され、それを読み上げたのを録音したあったのだが、プログラム終了後にそれを再度読み上げて録音。耳が英語耳になると、読む方も改善されるという説明だった。
そして、録音をチェックした女性が、

『ご自身も聞いてお分かりのように、なめらかに読めるようになっていますよね。』と。

私自身は、以前と同じ文章を読んだから、読み慣れただけの違いじゃないか?!くらいの違いにしか思えなかった。

そして、その後の女性との会話は以下の通り。

女性『これで、3歳から4歳くらいの子供の耳の状態になりました。』
自分『それで、英語はよく聞こえるような耳になったんでしょうか?!あまり自覚がないのですが。』
女性『3歳から4歳の子供は、まだこれから言葉を覚える段階ですよね。ですから、英語を聞けるようになるには、同じようにこれから英語の音を耳に慣れさせていくことが大事なんです。ここで終わってしまうと、耳はすぐに戻ってしまいますよ。で、プログラムを継続されますか?』
自分『・・・結構です。』

あのまま続けていたら、改善していたのか、それは分からないが、今までで一番成長を感じられない英語トレーニングであった。
今でも、英語はなかなか聴けるようになっていないので、リスニング力を上げたいと思って奮闘は続いている。

ただ、あれ以来、“ただ聴き流すだけで英語が聞けるようになる”というような、『聴き流す系』の英語教材には興味をひかれないようになった。



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# by lateblooming | 2017-08-05 17:26 | 日本へ転職 | Comments(0)

小さなコンサルタント事務所での仕事だったが、扱うビジネスは大きかった。
当時、オーストリア(オーストラリアではない)の会社の日本進出に関するプロジェクトを扱っていた。

ヨーロッパには旅行すら行ったことのなかった私にとっては、オーストリアと聞いて連想するのはモーツァルトと音楽の都ウィーンといった程度だったが、ビジネス方面でも世界的に有名なオーストリア企業があると知った。クリスタルの「スワロフスキー」やエナジードリンクの「レッドブル」などはその代表格だ。

そして、オーストリアには世界有数の「カジノ企業」もあると初めて知った。
そのカジノ企業は、グループとして、オーストリア国内全12ヶ所のカジノ施設に加えて、世界の13ヶ国で26ヶ所のカジノ施設を運営しているグローバル企業だった。
私はこのカジノ企業の日本進出のサポートをするプロジェクトに携わることになった。

私自身、それまで海外カジノをはじめ、国内の公営ギャンブルやぱちんこなど全然行ったことがなかったので“ゼロ”からのスタート。

だからこそ、衝撃も大きかったのが、そのカジノ企業の素晴しさだった。
特にマネジメントの人達が素晴しかった。
経営トップ、海外開発責任者、財務部門のトップ、そしてマーケティング責任者などに会う機会が何度もあったが、その多くが「MBA(経営学修士)」などを取得していたりしてビジネスプロフェッショナルなのはもちろん、中には元大学教授だという人までいたのにも驚いた。
それに加えて人間として魅力のある人達が多かった。ウィーンにある本社やオーストリア国内のカジノ施設に訪問しレストランで一緒に食事をする機会もあったが、私のような若造などはっきりいって放っておいても何の問題もなかったのにも関わらず、『ユーイチはこのワインきっと気に入ると思うよ。』などと言いながら本当に美味しい赤ワインをすすめてくれたりしてくれ、「ジェントルマン」というのはこういう人達のことを言うんだなといつも感じていた。
つまり、わたしの中では、

『カジノはジェントルマン達のビジネスである。』

幸運にもそういう感覚から入っていったので、「カジノ」そのものに対しても「カジノビジネス」に対しても、全く抵抗感がなかった。

それどころか、日本ではまだカジノが合法化していない状況なので、日本にカジノビジネスは存在していない。まさに、シンガポールから日本へ戻るときに今後携わっていきたいと思っていた

『日本にないもの(ビジネス)を海外から』

そのものだった。

そうして、そのときからカジノビジネスに本気で取り組んでいくことになる。

そして、グローバルビジネスに携わり、実際にグローバル企業で働く人達と一緒に仕事をしていくためには、当然ながら「英語」が必要であることは明らかだった。




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# by lateblooming | 2017-07-29 15:14 | 日本へ転職 | Comments(0)

初めての転職。
シンガポールから日本への転職。
メーカーからスパコンサルタントへの業種変更。
長く続く上場企業からいわゆる小さなベンチャー会社への転職。

はっきり言って、甘くなかった。

入ってみてから、その会社がまだ確固たるビジネスがほとんどない状態だと分かったのも痛かった。
美容業界やサービス業界での経験や知識がないこともあり、正直に言って、それまでの自分の業務経験や多少の英語力を活用できるレベルではなかった。
簡単に言えば、まだ会社として私のような正社員を雇う段階ではないときに、飛び込んでしまったといった状態だった。

その代わり、幸か不幸か、日本におけるスパビジネス発展のハードル(難しさ)について体感することができたことは、ひとつの財産だと言えるかもしれない。
少し見方を変えると、その他のサービス業にもあてはまる部分が多いと思われる。

<日本でのスパビジネス発展のハードル>
スパ(SPA)ビジネスとは、アロママッサージなどを中心とした質の高い施術を快適な空間の中で行い、顧客に「リラクゼーション」を提供するビジネスである。
その観点からすると、以下の点は、私見であるが、ビジネスとして収益を確保して発展していくための本質的な課題となる。
1.人件費が高い
アジア(のリゾート)で提供されるスパの満足度が高い理由のひとつは、価格のリーズナブルさだ。
ビジネスとしての観点から見れば、その本質的な部分としてアジアにおける「人件費」が安いということが直接影響していることは明らか。
それに比べて、当然日本では人件費はアジア諸国よりも高いので、収益力の圧迫要因となる。

2.土地代が高い
スパの快適さの大きな部分として、「ゆったりとしたいい雰囲気」の中で施術をしてもらうから、気持ちがいい。それを実現する為には、ある程度の敷地面積が必要。それを都心などで実現しようとしたら、当然施設費用が相当高くなり、収支を合わせるのが相当大変。

3・お金の使い方
まず、基本となるマッサージなどのサービスに対する料金設定として私が意識しているレベルは、「マッサージ10分1,000円」。これは、普通の「全身もみほぐし」とか「フットマッサージ」とか、アロマオイルなどを使わないタイプのマッサージなどが大体このレベル。つまり、60分6,000円。これを下回っていたら『安いな』とか、これより高いと『何が付加価値なのかな?』という目で見る。
それに対して、スパになると、「アロママッサージ10分2,000円」レベルとなって、60分コースだと最低1万円ということになる。少しいい雰囲気のところなら、60分15,000円とかしても全然不思議はない。
で、前置きが長くなったが、ここで質問。

『(あなたは月のお小遣いから)1万円あったら何に使いますか?』

大抵の日本人男性は、『飲みに行く』ではないだろうか?!
女性だったら、美味しいものを食べたり、服を買ったり、使い道はいっぱいありそうだ。
つまり、日本人が「リラクゼーション」にお金を使うという意識(文化)自体(金銭的な問題も含めて)がまだ醸成されているとは言えないということ。

これらを考えると、これは日本でスパビジネスというリラクゼーションビジネスを成功させることは、カンタンなことではないなと気づいた。

私としては、ずっとこの状態が続くとは思っていなかったが、この状態が変わるとしたら、それは日本における「外国人労働者」がもう少し増えるようになったらではないかと考えるようになっていた。もう10年前以上のことになるが。
ただ同時に、それには“ちょっと時間がかるな”とも感じていた。


転職早々に、そんな『壁』にぶつかって悶々としていた時に更なる転機が訪れた。
転職先のスパコンサルタントのビジネスを更に“コンサルト”していたビジネスコンサルタント事務所から、

『うちの方なら仕事があるけど、来るか?』

という話があった。
転職先の社長さんも、改めてビジネスの状況を考えてみて正直私を抱えるのは厳しいと感じていたようで、すでに両者の間で、私の意向次第で合意済みとのことだった。
そうして、初転職のまだ“試用期間中”に、別のビジネスコンサルタント事務所への「移籍」が決まった。

そこで、その先10年以上も『本気でやりたい』と思い続けられる別のビジネスに出会うことになる。
英語を頑張って勉強してシンガポールへ行って、思い切って転職もしていなかったら、その機会も得られなかったと間違いなく言える。


ちなみに、現在はスパビジネスとは離れてしまっているが、ここ近年、居酒屋やコンビニでもアジアからの若者の姿が増え、日常の風景になりつつあるが、同時に、なんとなく以前よりも街に「マッサージ店」の看板が目に付くようになってきたのは、それはそれで、個人的にはちょっと納得感を持って見ている。
“そろそろ来たかな”と。



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# by lateblooming | 2017-07-22 14:49 | 日本へ転職 | Comments(0)

中国語の学校に通ってみて、英語の習得にも通じるなと感じることがあった。

1.クラスメートからの刺激
そもそも私自身は通信教育など家で独りでコツコツ勉強するのが苦手で、学校に通ってお尻を叩かれないとなかなかやる気にならないタイプ。
そういった点では、通った中国語の学校は非常に良かった。
その当時(2003年~2004年頃)、会社で英語が必要とされる意識はあっても、中国語がどうしても必要なわけではない頃にわざわざ中国語の学校に(それも平日早朝7時半から毎日)通おうとする人たちは、「先」を見ていた人たちだった。中国に関わる企業が増えてくることを見据えていた人材派遣会社の中年男性、中国関連の出来事が重要になってくることを意識していた新聞社の女性、2008年の北京オリンピックに関わることを目指すフリーアナウンサーの女性など、魅力を感じるクラスメートばかりだった。
特にフリーアナウンサーのSちゃんとは、授業後の短い時間、お互いの仕事のことなどを話し合ったりして、励まし合いながら刺激を受けていた。
Sちゃんは、初級のコースを終えた後、さらに上のコースを受講した上で、中国の大学に通う為に日本を発った。
その後、中国で夢を掴めただろうか。いつか再会することがあったら訊いてみたい。

2.発音の徹底
通った学校では、まず何より、中国語発音の基礎であるピンイン(你好だったらnǐ hǎo)と四音(しせい)と呼ばれる高低4種類のアクセントを徹底的に習うことからはじまった。
早朝、毎回の授業のはじめに大きな声を出して中国語の発声から入ることで目も覚めた。
授業中に指されて皆の前で発声させられるので、うまく発音できるように必死になった。
そのおかげもあって、今でも覚えている中国語を中国のヒトに話すと、意外と褒められるので結構いい気分になる。(実際は、日本に来た外国人の人たちが『コンニチハ、ワタシの名前はケンでーす。』と話したときに我々が見せる反応と同程度ではあるが。)
この経験から、英語の習得においても「発音」は非常に大事なことであると気づいた。
特に、私の場合、これまでの学校と語学学校を通した英語学習の過程を振り返ると、英単語にカタカナをふってたところから始まって、「発音」というものをまともに勉強してこなかったこと、そして身につけてこなかったことを実感した。
もし今、誰かから『英語は全く分からないけど、何からはじめたらいいかな?』と訊かれたとしたら、発音からはじめてみたらどうかなと答えるかもしれない。
自分自身が、間違った音のまま覚えた英語を、再度正しい音にアップデートしていかなければならないタイヘンさを痛感しているだけにそう思う。

3.外国語を学ぶことの楽しさ
中国語の勉強は結構面白かった。
それは「漢字」によるところが大きいのは明らかだった。自分の知っている日本語に近い中国語表記だったり、似たような音があるとすぐに覚えられるし楽しい。

ほんの一例を挙げると、電話がデンファー、ビールがピージュウ、映画は電影と書いてディエンインとか、『なるほどね~』という感じで頭に入るし、意外と忘れない。

それでいて、文法は、主語と動詞がすぐに文頭に表れて、英語の文法に近いので英語的な感覚が求められたりする。
中国語: 我想喝啤酒 ( wo xian he pijiu )
英語: I want to drink beer.

そんな中国語の面白さと覚えやすさから、「中国語は結構いけそうだ!」という勝手な自信が芽生えた。
何事も学ぶ中で「楽しい」と思えることは、とても大事だと改めて感じた。

それでも、日本に帰ってからの仕事でより英語力を求められるプロジェクトに関わることになり、

『やっぱりまずは英語からだ』

と考えて、中国語の学校は6ヶ月のコースが終わった時点でやめて、再び英語の習得に取り組むことにした。

けど、中国語はいずれまた勉強したいと思う。
英語と中国語が使える“最強のビジネスマン”を目指して。



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# by lateblooming | 2017-07-16 10:47 | 日本へ転職 | Comments(0)

シンガポールでの3年間の生活を終えて日本に戻ってすぐにしたことは、気になっていた中国をこの目で見に行くこと。
当時、一番スゴイ勢いで発展が進んでいると言われていた「上海」へ一人で飛んだ。

当たり前ではあったが、中国で英語はほとんど役に立たなかった。
手持ちの中国語はと言えば、シンガポールで唯一使い慣れた

『小姐買単(シャオジエ・マイタン)/お姉さん、お勘定!』

それに

『多少銭(ドゥオシャオチェン)/いくらですか?』

を加えたくらいだ。しかし、実際にこれを現地で使うと、当然であるが金額を中国語で返答されるので、それがいくらなのか全く分からなかったのが痛かった。数字の中国語くらいは押さえておくべきだった。

また、中国のスパを視察だ!と入って行ったら、そこにいた数名の若い女性店員の皆さんがとても驚く顔をして何やら話しかけてきた。「日本人は珍しいんだろうな~」とのん気にしていたら、そこは『女性専用・男性立ち入り禁止』のスパだったと気づき、なんとかポリスを呼ばれる前に間一髪退散した。

そんな不便の連続ではあったが、“この場所が注目”と言われていた「新天地」を訪れて、周辺に新しいビルが建ちオシャレな飲食店が並ぶ繁華街、そして少し裏道を覗くと、古びれた建物が今まさに取り壊されている状況を目の当たりにして、『中国の勢いはホンモノだ』と体感できた。

今後ビジネス上、中国との関わりは非常に重要になることは間違いないと感じ、もう少し中国に触れてみようと、日本に戻ってから中国語の学校に通ってみることにした。

選んだのは、新橋駅前のニュー新橋ビルの中にある「朝日中国文化学院」だった。
この学校の何が良かった(凄かった)かというと、初級コースの授業が平日朝7時半から!(8時40分まで)週に5日間!!更にそれが6ヶ月間続く!!!それで授業料は比較的リーズナブル。
この社会人に対して、“本当にやる気があるなら、通えるでしょ?!”と言わんばかりのコース設定が、自分の気持ちを試しているかのようだった。

いざ申し込みに行ってみると、受付の女性が私の顔を見ながら疑わしそうに、『朝ちゃんと通えます~?!』と訊く。
思わず『いや~、多分ムリでしょうねー』と答えてしまったのを覚えている。
ともあれ、授業料が前払いだったので、払ってしまってからは覚悟を決めて、帰国後に住みはじめた吉祥寺から新橋まで仕事前に毎朝通い始めた。

するとそこで、また新たな発見があった。



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# by lateblooming | 2017-07-08 12:24 | 日本へ転職 | Comments(0)

日本へ転職

海外旅行や海外出張でも同じだと思うが、初めて海外(シンガポール)に住んでみて、何より刺激的だったのは、色々な面で日本と海外との「違い」が見えたこと。

現地の人たちが食べているもの、着ているもの、仕事の仕方、遊び方、考え方、売っている製品やサービスの質などなど。

日々そのような「違い」に触れながら3年目に突入すると、何か新しいことにチャレンジしたいという思いが強くなってきた。
その方向性として、漠然とではあるけれど、

『日本にないものを世界から』
『世界にないものを日本から』


そんなことに関わって生きていけたらいいなと思うようになっていた。
それなら、スパ(SPA)ビジネスからだと考えた。

2000年代初め頃、日本ではフットマッサージやマッサージのチェーン店が増えてきていたが、リラクゼーションを目的としたスパは、まだまだ一般的ではなかった。

モノ作りの点では、これからも日本企業がそう簡単に負けるとは思えないが、競争激化は間逃れないと感じていた。一方で、海外に行った日本人が誰しもが感じるように、「日本のサービス」は海外に勝てる可能性が高い部分だと実感していた。仕事を通じてその分野も見てみたいと思った。

それに何より、自分の好きなことに関われる仕事は面白いに違いないと。

そうして、シンガポールから日本への転職を決意した。
武器は、シンガポールで3年生活したことで得た英語に対する少しの自信と、スパ巡りをして収集した情報をまとめた「スパ・ブック」一冊のみ。

転職先は、日本では当時珍しい“スパ・コンサルタント”の会社に決まった。

現地の日本人上司Tさんに退職の意志を伝えると、
『(私がずっと希望していた)アメリカの国際営業部門(IMD:International Marketing Division)に異動できる話をつけていたんだが。』
と言われ、3秒ぐらい気持ちが揺れたが、退職させてもらうことになった。

上司のTさんは、とても仕事に厳しい人で社内の誰もが恐れていた。私にも最初の海外出張である台湾で『遊びに来てるんじゃねーぞ!』と厳しく指導してくれたのがそのTさんだったが、実は、自分が海外での仕事を志望していることを一番バックアップしてくれていたのもTさんだったのかもしれない。とても感謝している。

ちなみに、Tさんは、驚くべきことに後に会社を辞めて、現地で知り合いになった人と共同で、シンガポールで「ケーキ屋さん」をやることになったという噂を耳にした。
たしかに、シンガポールでは、日本で食べられるような美味しいケーキに出会うことはほとんどなかったので、そこにビジネスチャンスを感じたのもうなずける話ではある。
その後、成功したか、今もあるのかどうかは定かではない。


ともあれ、私の方はこうして3年のシンガポール駐在生活を終え、日本で新たな一歩を踏み出すことになった。

ただ、初めての転職はそんなに甘いものではなかった。


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# by lateblooming | 2017-07-02 10:47 | シンガポール赴任 | Comments(0)

肌感覚

日本はホントに便利な国だと思う。
必要な情報は大抵日本語で得られる。世界のこともテレビでかなりの部分を知ることが出来る。
だからこそ、なんでも「知ったつもり」になってしまいがち。

たとえば、インドネシアの熱帯樹林に囲まれたどこまでも続く道路。その道路沿いに所々ある掘っ立て小屋と現地の人たち。バイクに2人乗りしてかっ飛ばす若者たち。行ったことはなくても、何かのテレビ番組で観て、だいたい想像は出来る風景だ。
ただ、その風景の中に実際身を置いてみると何を感じるか?
シンガポールにいた時、インドネシアにある取引先の工場にいく際に、車に乗せてもらって移動したことがある。取引先の運転手からアドバイスが。

『ドアは必ずロックして下さい。』
『窓は開けないで。』
『外から金目のモノは見えないように。』

ようするに、バイクで近寄ってきて、“何かをされる可能性がゼロではない”ということだ。
カラダが少し硬直して、バッグを握る手が汗ばんだ。周辺の変化に神経を集中させて“ヒリヒリ”する感覚。
大袈裟ではなく、人生で初めて「自己防衛本能」が作動したのを実感した瞬間だった。

知っているのと、体感することは明らかに違っていた。

仕事を通しても新たに感じたことがあった。
時は2000年~2003年頃、ちょうど日本企業が中国へ進出したり、中国の安い部品などを使うようになりはじめ、中国が「世界の工場」と言われはじめる少し前くらいだったと思う。
シンガポールの拠点では部品の現地調達・現地開発のプロジェクトに携わっていたので、1円2円でも安い部品を、現地通貨だったら1ドル2ドルではなく1セント2セントのコストダウンを追及するような仕事をしていた。だから、

『このままコスト競争になったら、絶対(中国に)やられる。』

そんな焦りと怖さを感じるようになっていた。

そういった「肌感覚」というものを大事にするようになったのもその頃からのような気がする。

実際、それに背中を押される形で、生活を変えるようなひとつの大きなアクションをとることになる。


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# by lateblooming | 2017-06-24 13:24 | シンガポール赴任 | Comments(0)

スパ王

シンガポールで一番ハマったと言えるのがスパ(SPA)だった。
温浴施設ではなくて、アロマオイルを使って全身をマッサージしてもらうリラクゼーションの方のスパ。

シンガポールと言えば、“足裏マッサージのメッカ”でもあるので、私の場合、週末のサッカーの試合前には、ふくらはぎを念入りにマッサージしてもらって、試合中に足がつるのを防いだりしていた。
ただ、腰痛が発症してしまってからは、腰を中心とした全身マッサージの方にシフトしていき、いいマッサージ店を探すのに必死だった。

その過程で、スパに出会った。

アロマオイルの香りに包まれながらの全身マッサージの心地良さ、それまで経験してきた整体系マッサージとは別物で、衝撃的だった。
それから、プライベートの時間の多くを、「スパ巡り」に費やした。
シンガポールにいたときは、周辺アジア諸国へ仕事やプライベートで行く機会も結構あり、そんな時は、必ず近くに良さそうなスパがないか調べて行くようにしていた。
『スパ・ブック』を作って、施設の雰囲気、サービス、マッサージの上手さなど、勝手にスコアをつけて、パンフレットなどとともにためていった。

たぶん、そのときシンガポールで自分以上にスパに行っている男性はいないだろうというくらい一生懸命色々なスパにいったので、仲間うちでは、自称「スパ王」を名乗った。(カップ麺が大好きなワケではない)

勢いあまって、ちょっとイタイ経験もある。
マレーシアのランカウイ島に気になるスパがあり、1人でシンガポールから飛行機でランカウイへ飛び、島のリゾートホテルに宿泊した。
宿泊して気づいたのが、当然ながら宿泊客のほとんどがカップルまたはファミリー。
朝食時に『何名ですか?』と訊かれ『ひとり』と答えたときの従業員の表情、ひとりで食事をしているときの周囲からの“あのヒト、来る直前に彼女にフラれて、けどもったいないから独りで来ちゃった?!”的な視線を感じたときは、やってしまったかと痛感した。(もっと早くに分かった気もするが)
ホテル従業員の若い女性が(哀れに感じて?)親しくしてくれたのが唯一の救いだった。
なので、リゾートホテルにひとりで泊まるのは、あまりおススメしません。

ちなみに、男性がスパに行く際に、ちょっと抵抗があるのが「紙パンツ」。
マッサージを受ける際のエチケットとして、またアロマオイルが体に付くので、女性の下着のような形の小さい白い紙パンツに着替えることになる。この姿がなんとも、マヌケな感じなのだ。個人的には、人前に出るのに紙パンツ一丁と素っ裸のどちらかを選べと言われたら、素っ裸を選ぶと思う。
一度、シンガポールからフェリーで行けるリゾートであるビンタン島にサッカー仲間と遊びに行った際に、一番のお気に入りスパに仲間と一緒に行ったことがあった。
普通なら一番素敵なバンガロータイプのカップル用の場所で、紙パンツ一丁の野郎2人がベッドで並んでマッサージを受ける状況は、あまりステキとは言えなかった。
更によせばいいのに、マッサージ後のフラワーバス(花びらが一面に浮いた小さなロマンチックなお風呂)に、むさ苦しい紙パンツのオトコ2人で入ってしまった。人生において出来れば見ないですませたい光景だろう。

スパ(SPA)の心地良さや素晴しさが全く伝わらない話になってしまったが、、スパとの出会いはシンガポールでの生活があったからだと言える。

世界には、自分の知らなかったワクワクが沢山あって、自分がハマるかもしれないことも沢山ある。



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# by lateblooming | 2017-06-17 11:04 | シンガポール赴任 | Comments(0)

ホンモノを知る

海外生活の初経験者でも不自由なく生活できるシンガポールにしばらくいると、『自分の英語も意外とイケる』というような気になってくるので少し危険である。

特に、日本企業の海外拠点ともなると、日本語をバッチリ話せるローカルスタッフが数名いたりして、面倒なことは上手に処理してくれる。実際自分のときも、家探しから車の修理まで様々なサポートをしてくれるメンバーがいたので、かなり助かっていたことは間違いない。
基本的に、大部分のローカルスタッフも「日本のマネジメント」にかなり慣れていた。
彼らの中には我々日本人が英語を勉強するよりも、ずっと一生懸命に日本語を勉強しているメンバーもいて、お互い英語と日本語のカンタンな言葉を教えあったりするような“居心地のいい”職場だった。

英語に対しては「平和ボケ」した状態だ。

ある日、現地の取引先とミーティングがあり、先方の1人がアメリカ人だったときがあった。
ショックだったのは、そのヒトが話す英語が全く聞き取れなかったこと。彼にとっては、当然英語は話せる人達と思って普通に話しているだけなのだが、相当キツかった。

『これが本物の英語なのか!?』

とそのとき、はじめて焦りを覚えた。

またあるとき、社内で他部門も一緒のミーティングの機会があった。
その時に、アカウント部門の日本人駐在員のM氏が、とても流暢な英語で説明していた姿にも衝撃を受けた。同じ日本人でも、彼の話す英語と自分の英語のレベルには、明らかに大きな差があった。
それに、その彼の風貌や態度もスマートな感じでカッコいい奴だなと思った。

『ホンモノだ。』

そんな第一印象を持ったM氏とは、仕事上あまり接触がなかったこともあり、付き合いも全然なかったのだが、後日、全社員のイベントがあったときに話をする機会があった。
色々話を聞くと、中学生のときにアメリカのロサンゼルスで生活した経験があるということで、彼の英語力について妙に納得したのを覚えている。

ちなみに、M氏(今ではRちゃんと呼んでいる)とは、そのとき話が盛り上がって以来、お互いが転職して違う会社に勤めている今に至るまで付き合いが続いている。
現在、Rちゃんは、日本のアパレル企業の台湾拠点で活躍する2児のカッコいいパパであり、日本人として世界で共に戦っている「戦友」のひとりでもある。

「ホンモノ」に出会える機会も、世界に出ることで増すと思う。




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# by lateblooming | 2017-06-10 11:53 | シンガポール赴任 | Comments(0)

世界で戦う日本男児

シンガポールでの初めての海外生活を通して得られた最も価値があるものは、そこでできた友人たちと言えるかもしれない。

日本企業から派遣された海外駐在員として働くのには、それなりに色々な苦労もある。
日本とは違う慣れないビジネス環境の中、そもそも育ってきた文化が違う従業員と共に、言語の違う現地の取引先と仕事をするわけだから、日々、日本では想像できないような大小様々な問題に直面することになる。
その中で、日本人ビジネスマンの大きな強みは、

「打たれ強さ」「きつくても逃げないこと」「決められた事以外も頑張ること」

だと思う。これは、英語力の問題を超えて、世界で通じることだと思う。

それでも、悲しいかな、大抵の場合日本の本社では、現地の苦労や努力については、

「全然分かっていない」
いや、「分かろうとしない」
もっとホンネを言えば「知りたくない」
といったところだ。
欲しいのは、『達成すべき数字を問題なく達成できます。』その一言だなのだ。

そんな感じなので、たまに日本へ出張などあると、
私の日焼けした顔を見た日本の職場の人たちがまず口にするのは決まって、

『むこう(シンガポール)の生活は楽しそうですね~』

だ。年中真夏で毎日30度前後の場所で生活していれば、嫌でも日焼けするわ!
(といっても、私の場合は実際毎週サッカーもしていたので、実際楽しんでもいたが)

シンガポールでなくてもアジアの駐在員であれば、週末に仕事の関係でゴルフをしたりする機会もあって、日本にいるときよりは確実に日焼けの機会は多い。
日本人のDNAには、「日焼け=遊んでいる」と連想するように組み込まれているに違いない。

他にも、シンガポールに同じタイミングで赴任した日本人上司のTさんは、タイにサプライヤーの工場があって、時々出張の機会があったのだが、日本では『Tさんは、タイのバンコクで遊びまくっている。』という噂が流れているとやるせない表情を浮かべていたのを思い出す。(全く“楽しげな場所”に行っていないかは分からないが)
この手のやるせない経験は、海外で働く日本人であれば100%経験しているはずだ。

そんなときに、同じような体験をしている、現地で働く日本人の仲間とのつながりは、本当に大事なものだった。

特に、私の場合は、現地の日本人駐在員を中心としたアマチュアのサッカーチームに入って、シンガポールの「海外駐在員リーグ」で毎週土曜日にプレーしていたので、そこでの仲間はとても貴重な存在だった。それこそ、「FC NIPPON」という名前のチームで、サッカー日本代表ユニフォームのレプリカを着て、現地のアメリカ代表、ドイツ代表、イギリス代表チームなど欧米諸国のチームを相手に日本サッカー界の威信を(勝手に)背負って戦っていた。
そして、試合の後には、その日のプレーの内容や日ごろの仕事場での苦労話やグチを酒を飲みながら語り合って、リフレッシュして週明けの仕事に戻っていくのだった。

だから、海外で出会う日本人というのは、ある意味、世界のビジネスの場で(そして時にサッカーのフィールドでも)、

共に戦う『戦友』なのである。

シンガポールで出会った、歳も仕事も様々なチームのメンバーとは、何年も経った今でもずっと関係が続いている。
人生を通して大事にしたいと思える仲間を持つことが出来たことは、これだけでも、日本を出て海外に行って良かったと確信を持って言えることである。

ニッポン男児よ、世界で共に戦おう!!



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# by lateblooming | 2017-06-03 16:23 | シンガポール赴任 | Comments(0)

世界にはばたく大和撫子

シンガポールには、現地で生活しながら働く日本人女性が多くいた。

シンガポールは、東南アジア有数のハブ空港であるチャンギ空港があることから、航空会社で働く日本人の方々が結構住んでいた。特に現地の航空会社は客室乗務員として日本人女性を多く採用していたこともあり、シンガポールベース(現地居住)で働く日本人の女性が多くいた。

国際線のCAさんと言えば、日本にいた時には、“雲の上の存在”とまでは言わないが(いや、職場を考えるとある意味あっているか)ちょっと別世界で働く方々と思っていた。
それが、シンガポールという狭い国では、知人を通じて知り合いになる機会も結構あり、思った以上に身近な存在であった。実際、自分が所属していた駐在員サッカーチームの集まりに参加してくれたり、仲間の何人かは奥さんが元CAさんだったりした。
そのような機会を通じて、当たり前ではあるが、華やかそうに見える部分だけでなく、とてもハードな仕事であることを知った。考えてみれば、不規則な勤務時間、夜のフライト、機内の気圧の変化、エンジン音、乾燥、(そして厚めのお化粧)など、女性の美容と健康にとってはかなりキツイ職場環境だ。

シンガポールに来てなかったら、このようなことを実感を伴って知る機会もこともなかったと思う。

また、シンガポールには現地の一般企業で働く現地採用の日本人女性も結構いた。
現地給与の中から家賃を払って生活するのは決してラクではないと思う。実際、知人とルームシェアをしているケースが多かったように思う。
それでも、当時、日本の職場だったら女性は男性陣のサポート的な業務が多かったり、なかなかやりがいのある仕事がやらせてもらえないことが多い一方で、シンガポールでは1人の社員として責任ある仕事を任されていることが多そうだったし、何よりも海外で活き活きした顔で生活を楽しんでいるように見えた。

日本人女性の「気づかい」「勤勉さ」「しなやかさ」は、海外でより威力を発揮できると思う。

シンガポールに滞在して以来、日本発で世界に通用するものとして自信を持って言えるのは、

「日本食」、「マンガ」、そして「ヤマトナデシコ(日本人女性)」

というのが、今も変わらない私の持論だ。

日本食とマンガについては、今更言うまでもないが、ここ最近になって以前ではほとんどありえなかった『日本人女性の海外駐在員』がにわかに増えてきている状況のを目の当たりにしており、持論に自信を深めている今日この頃である。

“Girls, be ambitious” (少女よ、大志を抱け)



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# by lateblooming | 2017-05-27 11:43 | シンガポール赴任 | Comments(0)

思えば遠くへ来たもんだ

シンガポールで働き始めて少し経った頃、会社の元同期で、日本の航空会社へ転職し国際線の客室乗務員として働いていたRちゃんが、仕事でシンガポールに来る機会があって会うことになった。

Rちゃんといえば、アメリカからの帰国子女で、新入社員研修時のTOEIC(トーイック)試験では、高得点で圧倒的な差を見せつけられた女性。
ちょっと天然系の清純派アイドルのようだったRちゃんは、短大卒業後すぐの入社で多くの同期より年下だったこともあり、皆からイジられ可愛がられていた。

川沿いにレストランが並ぶクラーク・キー(Clarke Quay)で再会。
以前は、いつも「オザワさん」と敬語で話しかけられていたから、いきなり『オザワくん、元気~!?』と現れたときはちょっと意表をつかれた。
実際、話す内容も振舞いも話題も(ついでにお化粧も)急に“お姉さん”になっていて、女性というのは職場環境で、これ程までに変わるものなんだなと知った。

そんな彼女と話をしながら、自分自身を振り返り、「TOEICショック」からスタートして、

『今は、同じように海外を舞台にして働けるようになったんだなあ。』

と、日本から飛行機で約7時間離れた年中真夏の国シンガポールで、ちょっと感慨深かったのを覚えている。

♪思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら(by 海援隊)
(古過ぎ御免)



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# by lateblooming | 2017-05-20 09:49 | シンガポール赴任 | Comments(0)