人生の中で、「大きな別れ」が「大事なはじまり」につながることがある。
私にとっては、親父が亡くなったときがそうだった。

2回目のシドニー生活が半年過ぎて、仕事で日々もがいていた頃、日本で親父が急逝した。
親父とは結構仲が良くて、会ったときには色々と話を聞いてもらっていた。特別アドバイスがあるわけではないのだが、私の仕事のことをいつも気にかけてくれていたのは知っていた。
だから、悲しさはもちろん、それよりも、仕事でもっと成功する姿を見せられなったという悔しさが大きかった。

葬儀で三島の実家に帰ったとき、地元の本屋にふらっと立ち寄った。
ぼーっとした頭で書店の中を歩いていたとき、平積みされている「さよならの力」(伊集院 静著)という本が目に留まり購入した。
その本から私が受けたメッセージは、”人はどんなに辛く悲しい別れがあっても、時間が経てば必ず立ち直って前に進める。それまでよりも少し強くなって。”というものだった。

それで、親父との別れは、後で振り返ったときに、悲しい記憶としてではなく、『何かをはじめるきっかけになった』と言えるようなものにできたらいいなと思った。
自分の仕事での成長や成功につながるようなことは何かと考えた。
私にとっては、それはやっぱり「英語」だった。


『英語を”一生懸命”がんばろう。』

と決めた。少々大げさではあるが、文字通り英語を”一生を懸けて”頑張ってみようくらいの気持ちで。
そういうワケなので、今このブログを読んでくれている皆さんとは、これから長いお付き合いになりますので覚悟してください(笑)

そして、英語への取り組みについて、シドニーの地で「新たなチャレンジ」の一歩を踏み出すことを決心した。「さよならの力」をかりて。
それは、それ以前とその後で、自分にとっては”世界が変わった”ターニングポイントと言えるかもしれない。

次回から、新章「シドニー激闘編」へ突入!!



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# by lateblooming | 2018-09-16 14:10 | 2度目のシドニー生活 | Comments(0)

コアラな娘の専攻選び

動物占いで「コアラ」だった娘にとっても、オーストラリアでの生活は2度目。
彼女にとっても、今回はシドニーの大学で学ぶという新たなチャレンジが待っていた。

ちなみに、基本的にオーストラリアの大学ではすぐに専門課程で学ぶことになっており、日本の大学で言うところの一般教養課程は高校で終えているということになっている。
したがって、日本人を含む多くのアジアからの生徒は、「外国人留学生(International Student)」として、実際の大学で専門課程を学ぶ前に、一般教養課程を学ぶ基礎コース(Foundation Program)」を終了する必要がある。
簡単に言えば、3年間日本の高校で過ごした娘は、日本にいるときに大学(シドニー大学)の入学許可は既に得ていたものの、まだ実際の「専攻(学部)」は決まっておらず、本当の大学のキャンパスに”足を踏み入れる”為には、クリアしなければならない準備コース(別の学校で提供される)があるということである。

準備コースは、最長で15ヶ月で学ぶコースもあるが、奥さんから娘に対しては、入学や卒業のタイミングを考えて『短めの9ヶ月コースで終了すべし!』という”指令”が出ていたので、なかなかのプレッシャーであったことと思われる。
更に、最初の3ヶ月間は、(我々のビザ取得のタイミングが合わず)娘は先にシドニー入りして初めての「ホームステイ」をしながら通学することになったこともあり、それなりに緊張感を持たざるを得ない環境で2度目のシドニー生活が始まることとなった。

実際、3ヶ月後に、娘と再会して家族で一緒に住むようになった時に、自分の部屋のベッドメイキングをピシッ!とやっていたのを見たときは、奥さんと一緒に驚き、

『”可愛い子には旅をさせよ”とはよく言ったものだな~』

と、しみじみ感じたものだった。
しかし、それも1ヶ月くらい続いただけで、あっという間にそんな習慣はどこへやら、娘んの部屋も以前に見慣れた”フツーの状態”に戻っていたのを見て、

『やっぱり”ヒトはそんなに簡単には変われない”よな』

と、なんか妙に安心したのを覚えている。

その後、娘は、これまで通り、本物のコアラのようにこちらからはあまり何を考えているのか分からない様子で学校に通いながら、無事に9ヶ月の準備コースを終えて、いよいよ大学の専攻を決める時がきた。

大学での専攻については、事前に、学生の間では就職時にも広い範囲で活用できる(潰しがきく)というような点もあってか、コマース(Commerce/商学)系が人気が高く、専攻を希望するには準備コースでの成績も高くないと難しいという話があったそうだ。
娘もなんとか、それを希望できるくらいの成績は取っていたようだったので、てっきりコマースを希望するのかと思っていたが、彼女が希望したいと言ってきたのは、「建築系(Architechture and Environments)」であったので少し意外だった。

娘に理由を訊いてみると、

『大変でも、好きなことなら頑張れると思うから。』

と一言。相変わらず、それ以上の話はほとんど出てこなかった。

ただ、海外の大学での勉強が決して楽ではないということをしっかり理解しているようであり、何より私自身が、「好きなこと」や「本当にやりたいこと」を(学び)仕事にするのが一番だといつも考えているので、正直その一言で十分ではあった。
だから、私からも返答は、

『いいんじゃないか。』

と一言伝えた。

とは言え、内心では、自分が関わりたいと思っているカジノ/IR(統合型リゾート)のビジネスは、正に、シンガポールのマリーナベイサンズのような「シンボリックな建築物」や日本の地方自治体の「街づくり(都市開発)」とは切っても切れない関係であるので、『将来、この業界にも関わってくれたらいいぞ~』とか密かに思っているのであった。



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# by lateblooming | 2018-09-09 11:15 | 2度目のシドニー生活 | Comments(0)

『この先どこへ向かうべきか?』『何をしたらいいか?』と迷ったとき、自分の過去を振り返ってみるのはアリだと思う。
これまで自分が、何を目標にして、何を大事にして、何に時間やお金をかけてきたかを改めて意識することで、将来の方向性を考える手がかりが掴めるような気がするから。

私の場合はまず、薄々気づいてはいたが、少なくとも過去5年前後(あるいはもっと長く)自分の英語力は伸びていないという事実を認めざるをえなかった。
ずっと「大きく高い壁」の前をウロウロしているなと。ちょっと壁を叩いてみたり、どこかに抜け道がないか探してみたりしながら。
ここから先、自分がやりたいことを出来るようになるには、やっぱりもっと英語力が必要なのは分かっている。
だから、この壁は乗り越えたい。

そこで、一度、これまでの「英語への取り組み」について、振り返ってみて「何をやってきたか(そしてどうなったか)」「何をやってないか(足りてないか)」などを頭の中で整理してみたら、この先につながる何かが見えてくるかなと考えた。

そして、ちょっと振り返ってみて、最初に気が付いたことは、

”思えば遠くへ来たもんだ~♪”(by 海援隊)

ということである。
故郷(ふるさと)離れて20年以上、今住むシドニーは日本から7,800km離れているから、実際に物理的にも遠くに来ていた。
それに英語についても、アルファベット(ローマ字)に強烈なニガテ意識を持っていた子供時代からスタートして、初めての海外は23歳のとき。
そこから海外で働いてみたいとホンキで考えるようになって、現在は3回目の海外勤務中。英語のネイティブカントリーであるオーストラリアでなんとか仕事が出来るまでにはなっていた。
その間の成長は、それなりに小さくはない気がしている。

そこで、ふと思った。
これまでの、自分の英語に対する取り組みから、何か他の人にも参考になることが少しはあるのではないか?
それなら、これまでの振り返りをしながら、ブログでも書いてみようかなと。
それに、既に英語がとってもデキる方々が書いた「英語を教える」ブログは沢山あるけど、英語に対して「悪戦苦闘の過程」や「現在進行形のチャレンジ」を書いているブログはあまりないかなと思ったので、『もしかしたら面白くなるかも』と考えた。

そして、このブログを書き始めた。
英語ははじめるのが遅くても、続けていればきっと「壁」は越えられ、そしていつか”花が咲く”ときは必ずくる!と信じながら。

最後に、私が振り返りをしながら確信したことを一言で。

あなたも、私も、もっと英語が上手くなれる!!




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# by lateblooming | 2018-09-02 11:47 | 2度目のシドニー生活 | Comments(0)

あるとき、自分が話す英語にワクワクしていないことに気づいた。
もっと言えば、自分の英語に「飽きた」という感覚を抱くようになってしまった。
これは、よろしくない。

2回目のシドニーでの仕事は、日本人は自分一人だけで、周りは全員ローカルメンバー。
当然、英語でのコミュニケーションとなる。
他拠点にいる日本人と日本語でコミュニケーションすることも結構あるとは言え、やはり英語を使う機会は非常に多い。
そういった職場環境は、それこそ『望むところ』なのだが、英語を使う機会が多いからこそ、自分の英語力の足りなさを再認識することになった。

実は、こういった状況になることは、薄々は気づいていた。
前回(別の会社での)5年のシドニー赴任を通して、英語のネイティブカントリーであるオーストラリアで、なんとか自分の英語力をフル活用して”それなりに”仕事が回せるようにはなったという感触はあった。

ただ一方で、「根本的な英語力」の部分ではあまり成長出来ていなかったのではないかという疑念も抱えていた。
要するに、限られた英語のレパートリーの中から使いまわすから、使う英語がワンパターンになっていたということである。
そう考えると、赴任前に受けた英語試験IELTSで、スピーキングの点数が(リスニング、リーディング、ライティングよりも)相対的に低かったことも、会話のバリエーションが乏しい(つまり、ワンパターン)ということの現れだったと考えると合点がいく。

では、ワクワク感を取り戻すには、どうしたらいいか??!!

いい解決策がすぐに分かれば苦労はないが、そんなに簡単に見つかるほどカンタンではない。
ひとつハッキリ分かっていたのは、自分の性格を考えても、自分がこれまでやってきた同じ方法や似た方法を繰り返すのではダメだなということだった。

『何か新しいことをしなければ。。』

そんなことを考えながら、進行する日常業務をワンパターンな英語でなんとか乗り切る日々が続いた。

そして、苦し紛れに「新しいこと」をひとつひねり出した。

それは、「英語についてのブログ」をはじめることだった。


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# by lateblooming | 2018-08-26 12:32 | 2度目のシドニー生活 | Comments(0)

たまに、ちょっと外国かぶれの日本人女性が、『日本人の男のヒトって、「レディーファースト」じゃないからイヤよね~』とか言っているのを聞くと、正直カチンとくる。
とは言え、自分自身、「レディーファースト」がなんたるかもしっかり理解できているとは言えないので、ついつい、

「不器用な男(日本男児)ですから。。」

と、ごまかしたくもなるが、これが通用するのは高倉健さんまでだ。

そこで、私も、すぐには”紳士”にはなれないが、海外で生活する中では少し意識して行動していることがある。
そこで、私が好きで、とても役立つ英語のフレーズが、

After youだ。
日本語の「お先にどうぞ」という意味。


まず、これの好きなところは、日本語では”あなたが先に行ってください”だけど、英語では”私はあなたの後に行きますから(After you)”という感じで、なんか微妙に表現が違っていて、一瞬「西洋の思考回路」に触れた感じ~!と、脳のどこかがちょっと刺激されたような感じがするところ。(しません?!)

それはともかく、一番いいのは、なんといっても実用的なこと。

エレベーターで女性と乗り合わせて一緒の階で降りるとき、「開(OPEN)」を押しながら、(もう一方の手を軽く前方に向けて)『After you』。先に女性に降りてもらう。

レストランや建物の出入り口で同じようなタイミングで女性が(後ろから来たり、前から来たりして)ドアを通過するとき、ドアを引いて『After you』。先に女性を通す。

とってもカンタンだ。
そして、ほとんど女性からは『Thank you』と返ってくる。これは、こちらもハッピーだ。
例え、感謝のコトバがなかったとしても気にすることはない。これをされて嫌な気持ちになる女性はほとんどいないだろう。
相手も気分が良くなって、自分もハッピーなら、やらなきゃ損だ。

更に私の場合を言えば、
もはや、「After you」は、女性に対してだけでなく、男性に対しても、上記のようなシチュエーションでは頻繁に使っている。
この場合も、ほぼ100%「Thank you」が返ってくる。
はっきり言って、性別やヒトを区別するよりは、よっぽど楽だ。
それに、更に個人的に好きなところでもあるが、「After you」を使うときは、他の人を先に通すので、当然、こちらは「立ち止まる」。つまり、一瞬、自分の動きが「テンポダウン」することになる。これは、時間に追われてワサワサした気持ちのときに、フッと気持ちを落ち着けることが出来る。

そんなワケで、私はシドニーでの生活の中で、「After you」を乱発している(笑)
実際、「Thank you」の次に多く口にしているフレーズな気がする。多分、間違いない。


そして、この「After you」は、ぜひ日本でも使って欲しい。
今や、日本には沢山の外国人の観光客の人達や生活している人達がいる。
そんな時には、ぜひ試してみてほしい。
きっと、日本での気持ちのいい思い出の一つになるに違いない。
それに、「活きたグローバルコミュニケーション」をしたという感覚が絶対得られるはずである。
日本で英語を使う機会がほとんどないヒトも、騙されたと思って勇気をもって試して欲しい。
カタカナで「アフター・ユー」と言ってもいい。きっと通じるはず。

特に、日本はこれから東京オリンピックで外国の人たちと接する機会は増えるはず。
”おもてなし”はもちろんコンセプトとしていいけど、「それで、実際なにするの?」というのが見えにくい。
「After you」は、個人単位でできる直接のコミュニケーションだ。

ついつい、”After you教”の教祖みたいになってしまったので、ここまでにしよう。

では最後に、

エレベーターで、After you.
お店の出入り口でも、After you.
ついでに、ダチョウ俱楽部も、After you, After you.(どうぞ、どうぞ。)



みんなで、グローバルコミュニケーションを楽しもう!!



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# by lateblooming | 2018-08-19 09:26 | 2度目のシドニー生活 | Comments(0)

2度目のシドニーで、前回とは違う会社の現地拠点で働きはじめると、すぐに前回以上にチャレンジングな仕事であることを実感。
そして、3度目の海外赴任にして初めて、「海外駐在員の仕事の本質は、”諜報部員”に通じるものがある。」ということに気づいた。

私の職場は、豪州市場全体をカバーする販売拠点である社員10数名という比較的小さい現地会社。
その中で日本人は一人だけで、その時前任者もいなかったので、手探りのスタート。
仕事は、Corporate Strategy(日本で言えば経営企画部門)のマネージャーとして業務であった。簡単に言えば、「オフィス管理業務の何でも屋さん」といったところだ。

これまでの2度の海外赴任時(シンガポールと前回シドニー)と一番大きな違いは、以前は「現地会社の上司が日本人」であったが、今回は、「現地会社のトップ(にして上司)は現地人」ということ。
これは、働く上では、予想していた以上に大きな違いがあった。

一番のポイントは、「レポートラインが2つある」ということ。
つまり、1.現地人の上司 と 2.日本(本社)の上司の下で働くことであり、その両方に対する報告義務があるということ。
言ってしまうとシンプルに聞こえるが、この、日本と現地間で「バランス」を取りながら仕事をするというのは、非常に難しい。
このバランスが崩れると、以下のようなことになる。

1.現地人上司
現地の状況や見通しを日本へ伝えることは基本的な任務であるが、これは、ある意味「現地人上司を飛び越えて情報を流す」ことであり、現地の上司としては決して面白くはない。特に、悪い情報を日本に報告されることに対しては、当然その反感は強まるのだが、こちらはそういう場合にこそ日本からは正しい状況説明が求められるからツライところ。
そうなると、現地人上司からは、

”アイツは、日本(本社)ばっかり見て仕事している。“

というレッテルを貼られることになり、信頼感が失われると、現地の大事な情報が入ってこなくなり四面楚歌となる。

2.日本人上司
根本的に、日本(本社)からは、現地のトップを含めてローカルスタッフと信頼関係を築き上手くビジネスを改善させ回すことが最重要任務とみなされている。そして、当然ながら聞きたいのは「良い結果」であり、悪い状況は極力知りたくない。しかし、悪い状況について報告がないのも許されることではないからムズカシイ。
そのバランスが崩れると日本人上司からは、

”現地に取り入れられてどうすんの“ ”それを現地で改善するのが仕事だろ“

というキビシイ励ましの言葉が投げかけられることになる。
もし、ビジネスの改善結果が見えてこない場合は、「力不足」とみなされジ・エンド。

このように、(現地会社のトップとしての海外に赴任する場合はまた違った状況であると思うが)日本人海外赴任者が多かれ少なかれ求められるのは、諜報部員のような「繊細さ」と「精神力」ではないだろうか?!
そう、あのジェームズ・ボンドのように!

ただ、ジェームズ・ボンドほどの、超人的な身体能力や知能、そして特殊な武器を備えていない我々が頼りにできるのは。
「コミュニケーション能力」だけと言っても過言ではない。

それには、当然、英語力(外国語力)も含まれる。
現地のトップやスタッフと繊細なコミュニケーションを取れるか否かは、英語力が大きく左右する。


こういった事に気づいたある日、ワタシは家族に向かって高らかに宣言した。

『オレは、”007”だから!!』

すると、我が家のボンドガール(奥さん)からは、

『れーてん、れーれーセブン(0.007)くらいでしょ。』

と言われた。

皆さん、共に”007”のように、強く、カッコよく働こう!!


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# by lateblooming | 2018-08-05 10:54 | 2度目のシドニー生活 | Comments(0)

2度目のシドニーでの生活は、住む家が決まるまでの間、「民泊」(旅行者に一般住宅を有料で貸す宿泊サービス)を利用することからスタート。つまり、「ホテル」に滞在するのではなく、”一般のオージー“が普段住んでいる家で生活するということだ。それも、家族一緒に。
民泊活用期間は、約1ヶ月間!(その間に住む家を決める)

そもそも、この”作戦”を思いついてくれたのは奥さん。
私自身、一般的に、日本からの海外赴任者がホテルではなく民泊を利用するという話は聞いたことはなかったが、既に海外ではAirbnbに代表される民泊サービスは広く広まっていて日本でもこれからというタイミングだったこともあり、『体験してみるのもいいかもね』くらいのノリで決めた。

そして、実際に利用してみると、これが意外とナイスであった。
奥さんのファインプレーである。

良かった点は、以下の2点に集約される。

1.リーズナブル
これは民泊の最大の売りである為、言わずもがなではあるが、これは大事だ。特に、シドニーのホテルは高い!
家族で滞在できるようなホテルであれば一泊200ドル(2万円弱)以下で探すことは非常に難しい。
ちなみに、奥さん、娘、私の3人で生活するため、借りたのは2ベッドルーム(2LDK)の低層マンションで駐車場付き、シティへのアクセスも良く、最寄りの駅も近い物件。このレベルをホテルやコンドミで探そうとしたら一泊300ドル(3万円弱)は下らないだろう。
それが民泊であれば上手く探せば一泊100ドル(1万円弱)前後で借りられる。
約1ヶ月と比較的長い滞在になれば、経費削減は当然重要だ。

2.即生活開始が可能
食器や調理器具等は、大体、その家のものを使ってよいことになっていた(ホントに使って欲しくないものは鍵のかかったところにしまわれてあった)。
そのおかげで、奥さんが、慣れない調理器具で苦戦しながらも料理をしてくれたので、日々の食事を「家」で食べることが出来たのは、ヒジョーに有難かった。
ちなみに、炊飯器と箸はなかったところに、妙に海外を感じた。


もちろん、民泊ならではの難点も見えた。
一番気になるのは、同じマンション住民からの「冷たい視線」。
当然、住民にしてみれば、突然、知らないアジア人旅行者らしき家族が隣で生活をしていたら気になるだろう。
特に、「ゴミ出し」の際に、奥さんが住民からあまり良く思われていないような態度をされたりと、何となく肩身の狭い思いをしながらの生活となっていたことは確かだ。

あとは、部屋のオーナー(貸し手)さんの生活感がアリアリと残っているのも、なかなか気になるものだ。
部屋のあちこちにカップルのラブラブ写真や家族との写真が貼られているのが、嫌でも目に入るので、なんか他人の生活をのぞき見しているような感覚もあり、正直、心からくつろぐのは難しい。

家族とは、『早く、自分たちの家に住みたいね。』と日々励ましあいながら生活していた。

このような、長所と短所のある民泊を上手く活用するために、思った以上に大事になってくること。
それは、部屋のオーナー(貸し手)との英語によるコミュニケーションだ。

鍵のやり取りや、生活している間の困ったことなどは、民泊サイト上のメールやチャット機能を使って、「直接やり取り」することになる。例えば、エアコンが動かないとか、WiFiのパスワードを教えて欲しいとか。
特に覚えているのは、ある日、その家の傘を使わせてもらって外出したときに、暴風雨で、その傘がボロボロに壊れてしまったことがあった。そして、直接オーナーにゴメンして、『全然、気にしなくていいわよ~』と思いがけず優しい反応があった時には、とても嬉しい気持ちになった。結局は、人間的な直接のコミュニケーションが大きくサービス利用満足度に影響する。

最後に、初めて海外で民泊サービスを利用してみて、「このサービスが日本で広がっていくだろうか?」と考えてみた。

個人的には、制度整備の点だけでなく、他にも『いろいろ大変そうだ』と感じた。

特に日本では、「近所に知らない外国人が出入りする」という環境は、なかなか受け入れられにくい文化ではないかと思う。
当然ながら、外国からの人たちは、日本人の”想定外”の行動をするため、オーナー(貸し手)も、それに対応できるだけの経験やコミュニケーション能力(英語力)も必要不可欠だ。

2020年東京オリンピック前後に、日本での民泊サービスがどういった広がり方をしていくのか、とても関心を持って見ている。


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# by lateblooming | 2018-07-29 09:40 | 2度目のシドニー生活 | Comments(0)

何か新しいことにチャレンジするには、「ハラハラ、ドキドキ」はつきもの。
特に、海外での生活や仕事、社会人になってから大学院(MBA)、そして転職などで先がはっきり見えない展開は、まさに”スリルとサスペンス”だ。
特に、家族が一緒の場合は、その度合いは倍増する。

ワタシの場合、そんな状態になる度に、家族に対しては、
『我が家は、スリルとサスペンスがテーマでしょ~』と共通理解を促す。

しかし、それに対して奥さんは、

『ソレ、本当にいらないから。』

と、真顔で言ってくるので、ちょっとツライところだ。
ちなみに彼女、小説を読むときには、一番後ろの結論を先に読んで、前に戻って読みながら『これで安心して読める』とか言ってみたり、テレビの連続ドラマは、ネタバレサイトを先に読んでから観て『ハラハラしなくて済む』などと言っているので、確かに”スリルとサスペンス”はなかなか賛同を得にくいテーマではあるかもしれない。
(私が見たところ、そういった環境に対する適応力はかなり高いと見ているのだが。。)

ちょっと話は反れてしまったが、新しいチャレンジである程度の「ハラハラ、ドキドキ」があるのは当然ではあるが、時には、それが許容範囲を超えてしまうような事態になることもなくはない。
個人的には、そういった部分を含めて価値のあることだと考えてはいるが、せっかく、希望を持って思い切ってチャレンジをしたヒトが、反対に、立ち直れないほどのダメージを受けて苦しむようなことには、できればなってもらいたくない。

そういった思いを込めて、以下に、”ちょっとつまづいた”経験のある者から、海外赴任、MBA、そして転職に関する「転ばぬ先の杖」をお渡ししたい。

1.海外赴任:”行きはよいよい帰りはコワい”
海外赴任は、行くときも希望と不安でドキドキするのは言うまでもないが、実は、任期を終えて日本へ帰任する際のイメージを事前にある程度持っておくことが結構大事。社内で海外での経験が活かせる仕事ができるかどうか。
多くの場合、日本では『海外赴任期間は特別だ』と考えられている。

例えば、私の場合は、5年の海外赴任期間に、現地でマネージャーに昇格して現地給与も上げてもらえたのだが、日本に帰任した後は、1つ下のポジションであるアシスタントマネージャーからの再スタート(ある意味若干降格)であった。簡単に言えば、その会社では、海外での5年間の成長と経験はほとんど考慮されなかったということ。そして、冷静に日本本社の職場を見回してみると、海外から帰任後に十分に評価されていた人がいなかったばかりか、赴任後に無事に本社に戻ってこれた人すらほとんどいない状態だと気付いた。

幸い、その後少ししてから、私の経験を買って引っ張ってくれた上司がいて、無事にマネージャーに再昇格できたのはラッキーだった。

転ばぬ先の杖:海外赴任からの帰任者が、日本の職場でどのように評価され活躍しているかを事前にチェック!


2.MBA:”言うべきか言わざるべきか”
国内MBA(大学院)に仕事をしながら通う場合、そのことを、上司や同僚に話すかどうかは判断に迷うところ。
会社がその行為をプラスに見てくれるか、ネガティブに見るかは、それぞれ。
多くの場合、日本では『頭でっかちはダメなんだよ。大事なのは経験だよ。』という考えが根強い。特に、叩き上げのオジサン上司はほぼこのタイプ。

例えば、私の場合は、大学院(MBAコース)に合格した後、プロジェクトチームの上司に伝えた。
すると、数日後、その上司から『上にも相談したのだが、MBAに通うようなら忙しくなるだろうし、プロジェクトから外れてもらうことになる。あと、マネージャーのポジションも外すことになると思うけど、それでも通うか?』と耳を疑うようなことを言われた。
その時に、既に自分は「裁量労働制」(簡単に言えば、本来は、結果重視で時間配分は社員に委ねられるという制度。残業代も基本的になし。)の対象者であったが、期待されていたのは”残業代なしで出来るだけ沢山働いてもらえること”であると分かった。そして「MBA=忙しくて仕事に集中出来ない」と捉えられるのだなと。社内にはMBA取得者はいなかった。

そして、翌日、上司には『MBAには通うつもりです。』と伝え、自ら転職活動開始のゴングを鳴らした。

転ばぬ先の杖:上司はMBA取得者か。社内にMBA取得者で活躍している同僚や上司がいるか。いないのであれば話すのは要注意!


3.転職:”「立つ鳥跡を濁さず」コレが最難関”
やっと無事に転職が決まった後も、今の会社を辞める最後の瞬間まで気を緩めてはいけない。
多くの会社は、雇用している社員が辞めてしまわないように努力することは少ないが、辞める社員に対しては将来的な負の要因とならぬように最大の注意を払う。
当然ながら、退職する会社とトラブルになるようなことは、次の会社にも迷惑がかかる可能性もあり、避けなければならない。
その為には、最後の力を振り絞って、アタマと人間関係を駆使して、跡を濁さず立つ鳥になることを目指すべし。

例えば、私の場合は、辞める数日前になって、「誓約書(6ヶ月間の同業他社への転職禁止への同意などを含む)」へサインをしないと退職手続きを完了させられないということを言われた。
こういった会社からの退職が決まった後に突然出してくる要請については、既にそのような状況はある程度想定していたので、事前に知人の弁護士に適切な対応について色々とアドバイスをもらっていた。
それでも、自分で勇気を持って判断しなければいけないこともあるこをは忘れてはならない。最後は自分の決断だ。

そうして、無事に退職手続きをクリアできた。

転ばぬ先の杖:今までに同じ会社を退社した人、人事部で個人的に良い関係の人、その他転職経験者(さらに知り合いの弁護士などがいたら尚良し)のアドバイスをもらうべし!そして、最後は勇気!!


以上、長くなってしまったけれど、何かの参考になれば幸いです。
(少々、刺激的な内容も含まれている為、もしかしたら削除してしまうかもしれませんが。)

では、最後にお聞きします。

”スリルとサスペンス”、一緒に楽しみませんか?!


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# by lateblooming | 2018-07-21 17:32 | 日本で再び転職 | Comments(0)

後ろ髪を切る

シドニー赴任の為のビジネスビザ取得がそろそろ取得できそうだという頃、通っていた大学院(早稲田大学ビジネススクール・夜間主総合)は2年間のカリキュラムのうち、ちょうど1年目を終了したところだった。

「成績優秀者」ではなかったが、それまでに履修した科目は当たり前ではあるが一つも落とさずに、全体として“そこそこの成績”が取れていた。
特に、現役大学生のときには課題や試験対策で散々友人たちに頼ってしまったことから比べると、今回は完全に自分の力だけでやり通していたので、自分としてはそれなりに満足のいくものであった。
何よりも、授業で学べることはどれも有益に感じられ、全体としては、もちろん非常に大変であったが、とても面白かった。
2年目には卒論作成の為に、好きな教授のゼミに入ることも決まっていた。
だからこそ、出来ることなら、2年目も最後まで通い続けたかった。

だが、赴任の時期を考えると、最後まで通えないことは明らかだった。
どうするのか決断をしなければならない。

そうなると、選択肢は大きく3つ。
1.シドニーへ行った後も、なんとか卒業を目指す。
実際に、生徒の中には途中から転勤で海外へ行った後も、上手く必要単位を取って卒業まで漕ぎつける方法を取る人がいることはいた。
ただ、当然ながら、海外へ行くタイミングにも、仕事の状況によっても話は違ってくる。
基本的には、通学前提のコースであり、間違いなく、卒業するための単位取得のためには勉強以外の部分でも様々な手のかかる調整が必要になる。

2.限られた期間休学する
休学は一番単純な方法に思いがちだが、実際はそれほど簡単なものではない。
基本的には、ずっと休学が認められるわけではなく5年間くらい。それも1年間に約10万円の休学費用がかかる。
更に、事が複雑になる特殊事情としては、(ちょっと細かい話だが)通っていたコースは商学研究科であったが、ファイナンス研究科と統合されることが決まっており、簡単に言うと『単純に同じコースには戻れない可能性が高い』とのことだった。

3.退学する
退学した時点で全て終了。戻れる可能性は基本的にゼロ。


ちなみに、今回のシドニーでの仕事は、かなり甘くないことはハッキリしていた。
ここ数年、現地の業績は非常に厳しい状況にあり、「これから改善できるのか」それとも「閉じるのか」のギリギリのタイミング。
その見極めが自分の仕事でもあり、その方向性によって、自分自身の仕事がどうなるのかも決まってくるというかなり緊張感のある任務であることは分かっていた。
そして、現地の拠点には日本人は誰もおらず自分ひとり、私のポジションの前任者もいないところからスタートすることになっていた。
赴任期間が短くなるのか長くなるのかは、現地での仕事の結果次第である。

これらの状況を踏まえて、『自分らしい方向性』は何だろうかと考えた。
そして、これらの状況から私が選んだのは、「退学」であった。

決断の一番の決め手は、

「自分はそんなに器用ではない」

ということだった気がする。

そもそも、一番自分がやりたいのが、シドニーでの仕事であり、結果がどうであれ思い切りやりたいと考えていた。
現地で、思い切りベストを尽くしてダメだったらしょうがないが、日本のことにも気を取られながらで失敗したときは絶対後悔すると思った。

もちろん、大学院受験の為に事前に予備校に通ってようやく合格して入ったことや、転職期間も転職後も踏ん張って通っていたことや、最終学歴が「大学院卒」になるということを考えると、正直、後ろ髪を引かれる思いであった。
だからこそ、「退学」で”後ろ髪”をバッサリ切ることにした。

こうして、ワタシの最終学歴は、”大学院中退”という、なんだか全然締まらないものになってしまった(苦笑)

まあ、まだこの先の人生で、再びどこかの大学院で勉強する機会もあるかもしれないしね(!?)

と退路を断って、何はともあれ、ついに2度目のシドニーの地へ出発進行!



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# by lateblooming | 2018-07-15 10:28 | 日本で再び転職 | Comments(0)

コアラな娘の選択

私が2度目のシドニー赴任に向けて準備をしている時期、我が家の娘は高校3年生だった。

彼女は小学校高学年から中学3年までの5年間をシドニーで過ごし、帰国後3年間、日本の高校に通っていた。
日本に戻ってからも、コアラのように今一つ何を考えてるのか分からない上、普段何を考えているのかもなかなか伝わってこない感じであったが、帰国生が約3分の2を占めるという”珍獣たちが集まるサファリパーク”のような高校で、楽しく伸び伸び高校生活を送っているようではあった。

大学進学を考える娘にとって2つの選択肢があった。
ひとつは、日本の大学に通うこと。
もうひとつは、再び家族一緒にシドニーに行き、オーストラリアの大学に通うこと。

私がビジネスビザを申請しているときには、これらの「どちらかを選べる状況」になっていた。
簡単に「どちらかを選べる状況」とは言ったが、そういった状況の為の準備を進めていたことが一番重要であり大変なことだったと考える。
特に、その過程にワタシはほとんど関わっていなかったので、海外の大学の入学選考に必要な「TOEFL」や「SAT」という英語試験を娘に受験させておいた奥さんの「先を見た考え」には正直感心したし、その”叱咤激励”に応えて学校の成績を指定校推薦や帰国生受験を受けられるレベルにキープしながら英語試験のスコア取得の準備を進めた娘本人の頑張りも立派だったと思う。

2つの選択肢のどちらを選ぶかは本人の意思に任せようと考えていた。
そして、ある日、娘に訊いた。

『大学、どうしたいんだ?』

娘の答えは、一言。

『できれば、オーストラリアの大学に行かせていただきたいです。』

ちなみに、ここでお金の話はなんだが、オーストラリアの大学における海外留学生としての学費は日本の私立大学の3倍くらいする。
それを考えると、東京で一人暮らしをする費用と日本の大学の学費を足しても”おつり”がくるくらいだなと。
だから、ホントは内心、日本の大学を選んでくれてもいーぞーとか思っていた。

自分自身は大学受験の時には「海外の大学」なんて選択肢はこれっぽっちも頭になかった。
ただ、もし今、自分が娘と同じように日本の大学と海外の大学を選べる立場にあったとしたら、きっと、娘と『同じ選択』をするだろう。

海外の大学で勉強するというのは、日本での学生生活よりも相当キツイこともあるにちがいない。
実際に、娘にとっては出だしからチャレンジングな状況になったのは、私のビジネスビザの承認が現地の大学の授業開始スケジュールに間に合わず(これがビザの怖いところ!)、彼女はやむなく一人だけ先に「学生ビザ」を取得して、少なくとも2~3か月はシドニーでホームステイしながら授業に通うことになったことだった。

こうして、コアラな娘は、東京の小金井にある安全な“サファリパーク”で3年間過ごした後、再び”故郷(?!)”オーストラリアの猛獣ひしめく大自然にひとり放り出されたのだった。

ガンバレ、娘よ!
オレも頑張る!!


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# by lateblooming | 2018-07-08 14:16 | 日本で再び転職 | Comments(0)

ビザは水物

海外で働くためには「ビジネスビザ」が必要だ。
そして、このビザの取得は結構やっかいなテーマである。
働く国によっても違うが、ビザの取得条件や難度は、その国の経済状況や雇用環境や移民政策によって比較的コロコロ変わる。つまり、ビザについては、先の見通しが立ちにくい”水物”であると言える。

大きな見方をすると、経済発展過程にある国々は先進国からの「頭脳」の流入はウェルカムなので、ビジネスビザも比較的取りやすい。その反対に、先進国などの国内市場も成熟して経済も大きな伸びがない国々では、自国民の失業率が高止まりして
いるような場合が多く、自国民から”仕事を奪う”外国人はノーサンキューとなり、ビザの取得も厳しくなる。

自分が働こうとしているオーストラリアのここ近年の状況は、正に後者であり、最近では、ビザが取得出来る職種や業務内容に対する制限が厳しくなったり、更新がしにくくなったりしている。英語試験(IELTS)のスコアが必須になったのもつい最近のことだ。

そして、こうなってくると、何が問題かというと、「本当に予定通り、その国で働けるのか?」「働けるとして、ビザはいつ取得できるのか?」というのが見えにくいことである。簡単に言えば、

『いつから行けるの?!』

という家族からの質問に対しても、確信をもって答えられない状況になるということ。
これが、子供がいる家族、特に子供が中学生や高校生だとすると進路や受験にも影響してくるので、ヒジョーに頭の痛い「家族会議」の最重要議題となる。

そのようなビジネスビザ取得に関する取り組みについて、私自身は、

「自分ではどうにもコントロールできないこと80%、自分でなんとかなるかもしれないこと20%。」

くらいに割り切り、そして、自分で多少コントロールできる可能性がある20%にベストを尽くすという気持ちで取り組むようにしている。
ベストを尽くせる部分には、必要とされる英語試験の準備をしたり、社内での赴任時期の交渉や調整したり、ビザ申請書類の素早く正確に準備することはもちろん、その時の状況やその先の見通しについての自分なりの考えを家族や自分の大切な人たちと共有して話し合ったりすることも含まれると思う。

ちなみに、私が赴任予定のシドニー拠点は、現地に既に会社はあるものの、前任者の日本人はおらず、ビザの取得についても以下の3段階のプロセスが必要であった。

1.まず初めに、現地会社として外国人(日本人)を採用するための申請と承認が必要。
2.次に、外国人を採用してOKとなった後に、どんな職種のどういったポジションの外国人を雇うかという申請と承認が必要。
3.そして、上記のステップを経て、ようやく最後に、そのポジションにノミネートされる外国人(私)が相応しい人物であるか書類審査の上、承認されることが必要。

このような長いプロセスであるため、「いつから行けるか」を予想するのはなかなか難しかった。

その状況の中、娘は高校2年~3年生の頃だったので、大学の進路を考える時期であった。
『日本の大学を目指すのか、オーストラリアの大学を目指すのか?』

ついでに、もう一人、“大きな学生”(ワタシ)は、2年間の大学院(夜間MBAコース)の1年目。
『シドニーで早く仕事したいが、せっかく入った大学院もできれば卒業したい。。』

正直、シドニー行きのタイミングが早すぎても色々と不都合な面があったが、やはりそれ以上に、ビザの取得が遅くなったり取得出来なかったりした場合には、仕事的にも致命的なダメージにつながるため、基本的には出来るだけ早くビザが取得できるよう、時には難しい微調整をしながら、申請のプロセスを進めていった。


そうして、最終的には、ビザの申請を開始してから約半年かかって、無事にオーストラリアのビジネスビザが取得できた。


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# by lateblooming | 2018-07-01 15:02 | 日本で再び転職 | Comments(0)

自分の本当の力と自分自身が『大体このくらいだろう』と思っている認識との間にはギャップがあることがある。
私の場合、初めて受けた英語試験IELTSのスピーキングテストがそれだった。

ちなみに、私が受けたIELTSの「ジェネラル・トレーニング・モジュール」試験は、1日で全てのテストを行うバージョンと2日に分けて受けるバージョンと選ぶことができる。
私の場合は、初めての試験でヘロヘロになることが容易に想像できたので、集中力の持続を考えて「2日バージョン」を選択した。
1日目は、リスニング(40分)、リーディング(60分)、ライティング(60分)。
2日目は、スピーキングテストのみ(試験自体は15分程度)。

おそらく1日バージョンがあるのは、遠方からの受験者への配慮もあってのことかと思う。
というのも、IELTSの試験は、日本全国で15ヶ所の会場(札幌、仙台、埼玉、東京、横浜、松本、金沢、名古屋、京都、大阪、神戸、岡山、広島、福岡、熊本)でしか受けることが出来ない為、住まいの近くに会場がない場合は「試験小旅行」が必要になる。多少キツくても1日にぎゅっと詰め込みたいと考えるのも当然だ。

そして、2日目のスピーキングテスト当日。
厳重な受付チェックは初日同様。

IELTS試験自体が初めてなので、当然スピーキングテストも初めて。
それどころか、他の英語試験でも(英検やTOEFLにもスピーキングテストはあるが)スピーキングテストは完全に初めてな上、これから受けるのは「試験官と1対1の対面試験」ということで、ちょっとドキドキだ。
やはり、試験官と“サシでの勝負”となるだけに、相手がどんな人物であるかは気になる。それも、当日の試験官は複数名いるのでなおさらだ。
特に、スピーキングテストの待合室では、自分より前の番号の受験者が迎えにきたそれぞれ違う担当試験官に別室に連れて行かれるのを目の当たりにするので、『あの若い男性の試験官はなんか優しそうで、話がしやすそうだなあ。』とか『あのおじさん試験官は気難しそうで緊張しそうだ。』とか、つい思わずにはいられない。
さらには、“試験官によって、採点変わらないの~?”とか、一番余計なことまで考えてしまいそうになるので、必死に邪念を払う必要がある。

私の試験官は、“英国紳士風”の年配の男性だった。

スピーキング試験は、軽い挨拶から始まり、次に試験官の短い質問に答えていく。
そして、一番の山場は、与えられた「お題」について自分の考えを述べるところ。
自分には「身近なテクノロジー」についてのお題で、個人的には比較的話しやすいテーマだったこともあり、結構、調子に乗ってしゃべった。
試験官も、ニコニコして、ワタシの話を楽しんで聞いてくれていたように感じた。
スピーキング試験が終わった時、自分としては、思っていた以上に英語が口から出てきたので、感触は悪くなかった。

『少なくとも、筆記テストよりはスピーキングの方が良かったに違いない。』

と。そして、その自己認識が間違っていたことは、しばらくして試験結果が返ってきて知ることになる。

オーストラリアのビジネスビザ申請に求められるIELTS試験のスコアは「5.0」。
そして、試験結果は、、
総合スコアは「6.0」。無事に一発でクリア!

ただし、自分自身が気になったのは、スコアの内訳。

リスニング:6.0
リーディング:6.0
ライティング:6.0
スピーキング:5.5

なんと、スピーキングが予想に反して一番デキが悪いではないか!!
確かに、スピーキングの採点基準として、「正しい文法で話しているか」はもちろん、「色々な言い回しが使えるか」も重要視されるとは聞いていた。
それが、自分が思っている以上に出来ていないという現実を突きつけられることになった。

『これは、自分の実力と自分が思っているレベルにギャップがあるということではないか?!』

そんなコトバが頭に浮かんだ。

こういう感覚は、もしかしたら、子供の運動会でお父さんがリレーで足が絡まって転倒してしまった時と同じかもしれない。
自分の頭(イメージ)と身体(実際の能力)にギャップができてしまっているのだ。
重要なのは、それに気づいた時の次のアクションだろう。例えば、

1.転んだのは、履いていたシューズやグランドが悪かったせいにする。(コレは避けたい。)
2.イメージの方を、実際の(衰えたか不十分な)能力に合わせる。(大抵はこっちだろう。比較的楽だから。)
3.実力を(もう一度)引き上げる。(コレが出来たら素晴らしいが、一番キツイのは間違いない。)
4.しばらく、忘れたフリをして放っておく。(現実逃避作戦)

そしてワタシは、恥ずかしながら、その「気づき」にとりあえずフタをしてしまった(苦笑)“糠漬け”のように。

もちろん、その“糠漬け”状態にした「現実に対する気づき」は、いつか取り出さなければならないのは分かっていた。
しかし、そのときが来るのは、その後、しばらく経ってからになる。


とりあえず、当初の目標であるIELTSの必要スコアはクリアできたので、次は、オーストラリアのビジネスビザ取得に向けた申請へ。



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# by lateblooming | 2018-06-24 16:26 | 日本で再び転職 | Comments(0)

いよいよ、初めて英語試験IELTS(アイエルツ)を受験することになった。
そして、その試験会場の雰囲気や試験スタイルは、これまで受験したことのある、英検、TOEIC、TOEFLなどの英語試験とは大きく違っていることを知った。
特に試験管理体制の厳しさが印象的だった。

ちなみに、IELTSの試験は2つのタイプ(モジュール)がある。
ひとつは、「アカデミック・モジュール」。これは、英語で授業が行われる大学や大学院の入学許可の判断の為に使われる。
もうひとつは、「ジェネラル・トレーニング・モジュール」。これは、オーストラリアやカナダなどの移民審査、つまりビザ取得の判断に参考にされる。私が受験するは、こっちである。

試験会場に到着すると、試験会場入り口で、いきなり、がっちりパスポートで人物確認が行われた。もちろんその後の入退室も非常に厳しくチェックされる。
“替え玉受験”対策だろう。確かに、この試験結果が、大学の合否やビザ取得の可否に関わるのだから、試験運営側にとっては、一番神経質にならざるを得ない部分であることは理解できる。

そして、その後の不正対策も結構スゴイ。
すぐに実際の試験を受ける部屋に入るのではなく、一度待合室に入り、余計な荷物は全てそこに置いておかなければならない。
試験室に持ち込めるのは、ほぼ、黒鉛筆と消しゴムのみ!
あとは水。それも透明な「ペットボトル限定」。だから、市販のペットボトルの場合は、リサイクル回収のときのように印刷ラベルを全て剥がさないといけない。
以上が、試験室に持ち込める全てだ。腕時計も持ち込めない。
それに、ハンカチもティッシュも持ち込み禁止!
これが、個人的には、一番動揺を誘った。

『鼻血が出たら、マズイな。。』

大学受験時代のトラウマ「鼻血ブー事件」が脳裏をよぎった。
それは青学の入試での出来事だった。
青学といえば、本校が渋谷にあることといい、女子短大があったりと、なんとなく「華やか」な大学のイメージである。
実際、渋谷の本校で行われた入試当日、試験官の一人として現れた現役生徒と思われる女子大生がミニスカートを履いていたのを見たときは、全くそのイメージ通りだと思った。
その試験官の女性は、最前列の席に座ったワタシの向かい合わせにして配置された試験官用の席に座った。
そして、このシチュエーションが悲劇を生んだ。
試験1教科目の試験開始早々に、試験場の温度が高くてのぼせたか、緊張で頭に血が上ったせいかは定かではないが、鼻血が出た。(決して、目の前に座っている女性に興奮したワケではない!!)
当時、鼻血自体は比較的出やすい傾向があったので、ティッシュも準備してあったので、とっさの対応は問題ではなかったが、余計な考えが頭に浮かんでしまった。

『何、このヒト、なんか興奮して鼻血出してるの??やだ~。』
と、前に座る試験官の女性は、もしかしたら思ってるのではなかろうか?!と。

『これは違うんです!』とか、試験中にその女性試験官に弁解するワケにはいかないし、かと言って、赤くなったティッシュを鼻に突っ込んだままの顔を晒しながら、平静を装って試験を受け続けるのも結構ツライものがある。
退室しなければならない程の大事には至らなかったが、精神的な動揺は試験中しばらく続いた。

結局のところ、試験結果は不合格であった。
もちろん、不合格の原因は自分の実力不足にあったのであろうが、少なくとも運は鼻血に流されてしまったようだった。

そんな忘れていたトラウマの記憶が初めてのIELTS試験前によみがえり、少なからず動揺した。
ただし、幸運にも(?!)試験官が少々ご年配の女性の方であった為、なぜか妙に落ち着きを取り戻したのだった。(念のため。以前は若い女性だったから興奮したと言っているワケではない!)

いずれにせよ、無事に筆記試験を終えることが出来た。
自分なりのベストは尽くせたかなという感じであった。

ちなみに、筆記試験自体の特徴としては、マークシート方式ではなく、筆記であり、手書きのライティング試験もあるので、「スペルミス」は減点対象になるという点には注意が必要。

あとは、真面目な話、鼻血の心配はともかく、風邪や花粉症で鼻水が出やすい人たちにとっては、非常に「過酷な試験」であることに間違いないと思う。
体調管理と事前の対策は必要不可欠である。


筆記試験に続くスピーキング試験は、翌日に続く。


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# by lateblooming | 2018-06-17 17:17 | 日本で再び転職 | Comments(0)

夜更けの英語レッスン

かつて「英会話学校」といえば、“駅前留学”で代表される「通学タイプ」の英会話学校をがまず頭に浮かんでいた。実際、私もかつて日本にいるときにせっせと通った。

それが、最近では『オンライン英会話』なるものがかなり勢いを増している状況になっていた。
それは、無料通話のコミュニケーションツール(Skype等)を使って、自宅にいながら講師とオンライン上で(パソコン画面を通じて)英語のレッスンをする形態のサービスだった。
『オンライン英会話』自体は、ここ5年くらいの間に急速に増えてきた英語学習の形態のようだ。実際に現時点では、ネットでちょっと見ただけでも、30種類を超えるサービスが存在している!
それまで、私自身もそういったサービスは全然ノーマークだったが、奥さんから『こんなのがあるよ』と教えられて初めて知った。

この『オンライン英会話』のサービスを、IELTSのスピーキング試験(試験官と一対一の口頭試験)対策に少し使ってみることにした。

そして、これが予想していた以上に「ヒット」だった。
自分にとって何が決定的に良かったかというと、(フィリピンは日本より1~2時間遅い時差があり、これが上手く活かされていて)日本の夜遅い時間(夜11時位)からのレッスンも可能であったこと。ちょうど、平日の数日は夜10時過ぎまでビジネススクールに通っていたので、帰宅後に利用できるサービスは有り難かった。

以下が、その概要になる。

初レッスンは、かなりドキドキした。
予約した夜の11時に、寝室にあるデスクに置かれたノートパソコンの前で一人待っていると、フィリピン人の女性講師から直接テレビ電話(Skype)がつながる。
そこには、ウェブサイトに載っていた紹介写真よりも、ずっとカジュアルな服装で、Dr.スランプ アラレちゃん風(ちと古いか)の丸い大きな眼鏡をかけた可愛い感じの若い女性が現れた。
正直、『これは何か“イケナイ世界”にアクセスしてしまったのではないか?!』と、思わずヒトに見られていないか部屋の中を見回してしまいそうになった。
相手の女性は、こちらのそんなワタシの動揺にはお構いなく、自然体で話しかけてくる。
そして、フィリピンと聞いて、自分は勝手にマニラからだと想像していたが、彼女はセブに住んでいると聞き、ここでまた、未だ行ったことのないセブ島のリゾート風景が頭に浮かび、思わずそのまま「フリートーク」を続けたい衝動に駆られた。
ただし、ここで『ちょっと待て!目的はIELTSのスピーキング試験対策だ!!』と自分に言い聞かせて、なんとか“無駄口モード”を封印した。
それ以降は、当初の目的を見失わずにレッスンを受けた。

『オンライン英会話』では、次のような部分が、「従来の英会話学校」にはない新しくて画期的な点だった。

1.無料通話サービスの有効活用
『オンライン英会話』の根本的な要素として、簡単に手に入る無料通話・テレビ電話のサービスを使っているはもちろんであるが、その中に含まれる「チャット機能」を上手く利用したレッスンの進め方には感心した。
スピーキングの模範解答を、講師の女性が話しながらチャットに英語を打ち込むと、こちらのパソコン画面にもその文字が表示されるので、「耳だけでは拾いきれない英語の文章を目でも追うこと」が出来る。更に、その打たれた文字をみながらこちらがリピートして読むことになる。これは素晴らしいアイディアだ。

2.リーズナブルな価格設定
『オンライン英会話』は、非常にリーズナブル!
私が利用したパッケージは、1レッスン30分程度と短いが、5回分で6,000円くらい。これは“ちょっとやってみようか”という気にさせてくれた。
だいたい、飲み会1回分の金額と同じである。
たまには、同じ金額を、飲み会後の体重計の数値アップに使うのではなく、英語試験のスコアアップに使うのも決して悪くない。

3.夜遅くに自宅でプライベートレッスン
なんといっても、夜遅くに自宅にいながら英語を教えてもらうことが出来るという利便性は強み。
特に、帰宅が遅い人、子供がいてなかなか家から出られない人、そして、家の近くに通いたい英語のスクールがない人などが英語を学ぶ手段としては非常に有効。
英語の質に関しても、以前から、フィリピンの人達はキレイな英語を話す人が多いというのは知っていたが、実際に私に教えてくれたフィリピン人女性の講師は、非常にしっかりした英語を流暢に話す方で、質という点でも満足いくものであった。

余談ではあるが、少し後に、友人たちとの話の中でオンライン英会話の話題が出た際に、友人の一人が『うちの父親も、夜、フィリピンの女性とのオンライン英会話に結構ハマってますよ。』と話してくれた。確か、その友人のお父様は、学校の校長先生をしている方だった。
自分の親父くらいのおじさんが、パソコンを介してフィリピンの若い女性と楽しそうに話す姿を想像して、一瞬、ちょっと絵的にはどーかな~とか思ってしまったが(失礼!)、ちょっと待てよ!と。
ある意味で、昨今は、教育現場で子供たちに英語を教える(ことを期待される)立場にある「先生方」にとっては、『オンライン英会話』は、人知れず英語のスキルアップしたい場合には最適な手段であるかもしれないなと思った。
“英語は学び直したいが、教え子や教え子の親が通う地元の英会話スクールにはあまり通いたくない”と考える学校の先生は意外と多いかもしれない。


このように、『オンライン英会話』は、英語学習の一つの手段として、今後も大きな潮流となりそうであることを実感した。


いよいよ、初のIELTS試験の本番に挑む!


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# by lateblooming | 2018-06-10 14:37 | 日本で再び転職 | Comments(0)

オーストラリアのビジネスビザ取得のために、これまで受けたことのない、英国発の英語試験「IELTS(アイエルツ)」受験に向けて準備を開始した。

新しいことにチャレンジするのだから、これまで経験していないやり方でやってみるのもいいなと考えて作戦を立てた。

まず、目的を明確に。
これは、なんといっても、オーストラリアで仕事が出来るように、ビジネスビザに必要なIELTS「5.0」を一発でクリアすること。

次に、試験情報をチェック。
このIELTSの「5.0」というのは、TOEICでは「550~600点」、TOEFL(PBT)で「500~520点」、そして英検で「2級」と同等程度のレベルであることを知った。
点数としては、自分の持っている英語力で十分クリアできるレベルではあったが、試験の内容把握が重要だ。

そして、更なる情報収集のためのアクション開始。
IELTS試験の過去問数回分が入った『市販の試験対策テキスト』を購入。
併せて、オーストラリアの高校・大学を含めた留学準備等のサポートサービスを提供してくれる「ICC交流委員会」が開催する『IELTS試験説明会』に参加して、試験の概要と特徴の把握に努めた。
それにより、IELTSは、英語力の真の実力をかなり総合的に測る試験に感じられた。つまり、“小手先の試験対策ノウハウ”はあまり効力を発揮しないなと。
ただ唯一、「(試験官と1対1の)スピーキング試験」は、ある程度慣れと準備は必要だと思った。

そして最後に私がとった作戦は、『オンライン英会話』のサービスを利用してみることだった。
無料通話のコミュニケーション「Skype(スカイプ)」等を使って、自宅にいながら講師とオンライン上で(パソコン画面を通じて)英語のレッスンをする形態のサービスのことだ。

「オンライン英会話」、なんとも“今風”な響きではないか!


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# by lateblooming | 2018-05-27 17:22 | 日本で再び転職 | Comments(0)

“オーストラリアであれば明日からでも!”という勢いで転職が決まったものの、当然ながら、そんなにすぐにオーストラリアに赴任できるわけではない。
何より重要なのは『ビジネスビザ(VISA)の取得』である。特にオーストラリアは、近年、外国人に対するビザ発給の条件がどんどん厳しくなってきているのだ。
その中でも、日本人にとって、そして私自身にとってのひとつのハードルは、「英語試験のスコア」がビザの取得に求められるということ。その英語試験が、英国発のIELTS(International English Language Testing System:通称アイエルツ)であり、私が今までに一度も受けたことのない“未知の英語試験”であった。(前回のシドニー赴任時には、IELTSのスコアは必要なかった。)

ビジネスビザ取得に必要なIELTSのスコアは「5.0」。
とはいえ、この「5.0」がどんなレベルなのかも、それ以前にIELTSの試験がどんなものかも知らないところからのスタート。
何より、「オーストラリア赴任が前提」で採用が決まったのに、“英語の試験のデキが悪くてビジネスビザが取得できませんでした”では、全くシャレにならない。

それで、IELTS試験について調べ始めて分かったことは、思った以上に“カッチリした試験”であるということ。聞く、読む、書く、話すのそれぞれの試験を受けるが、これまで受けたことのある他の英語試験と違うところは、「マークシート方式の塗りつぶし系」ではなく、「手書きの書き込み系」の筆記試験で、スピーキングの試験は「試験官との1対1の面接試験」ということ。

ちなみに、各英語試験の「違い」に対する私の超主観的な印象は以下の通り。

英検は、日本の試験だけあって、「算術」や「武道」のようなイメージがある。どちらにも共通することは、やはり『基本』の大切さ。だから、英語で言えば『英文法』をシッカリと押さえているかが重視されているように感じる。

TOEFLTOEICは、アメリカ(のETSというところ)発の試験で、なんとなく「スポーツ」のようなイメージ。限られた時間の中に、“これでもか!”という感じで問題が詰め込まれていて、それをいかに要領良くさばいていくか。解法の『テクニック』を知っているか知らないかで点数が大きく変わってくる。“瞬発力”が求められると思う。

そして、IELTSはイギリス発の試験。いまだに手書きの筆記試験を鉛筆でやらせること(シャーペンは禁止!いつの時代だ!!)や、手間や時間はかかっても1対1でのスピーキングテストにこだわるあたり、英語の実力を測るために正しいと考えられる古くからのやり方を守る「騎士道」のようなものを感じるとともに、試験料が約25,000円!!という超高額なところは、決して“冷やかし”程度でカンタンな気持ちで受験するなということを暗に伝えているようで、格式を重んじる「英国貴族」のイメージそのものであると感じた。

こうして、英国貴族の薫り漂う、『本物のイングリッシュ(English)』の実力を測る英語試験IELTSに立ち向かうことになった。





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# by lateblooming | 2018-05-20 16:07 | 日本で再び転職 | Comments(0)

海外で働く場合はもちろん、最近では、日本の職場で外国人の従業員と一緒に仕事をするケースも珍しいことではなくなってきたと思う。
そんなときに大事なのが「クロスカルチャー・マネジメント(Cross-Cultural Management)」というキーワード。
“マネジメント”なんてコトバが付いているので、なんだか“エライ人”だけ考えればいいみたいに感じそうになるが、すごく簡単に言うと、『(一緒に働くメンバーの)自分とは違う国籍や宗教や文化を尊重しながら、その多様性をむしろパワーに変えていく。』という考え。

そして、通っていたWBS(早稲田ビジネススクール)の選択科目の中に、外国人の先生が「クロスカルチャー・マネジメント」をテーマにしたクラスがあったので、受講することにした。

最終的には、自分が取った全ての講義の中で最も満足度の高い講義のひとつになった。
もっと言うと、WBSに通う全ての生徒(ビジネスパーソン)に受講を薦めたいと思える内容だった。

特に良かった点は以下の通り。

1.生徒の多様性
まず基本的に、WBSの夜間・週末のコースでは、必須科目の講義は全て「日本語」。生徒も基本的にほぼ100%が日本人。
そういったこともあり、このクラスは、生徒の中では決して“人気のある講義”として見られていなかったので、生徒数も20名以下の小さなクラスであったが、良かったのは、唯一、昼間のMBAコースに通う「外国人の生徒(留学生)」が参加していたこと。記憶では、アメリカ、フランス、中国からの学生などが半数、半数が日本人という『多様性のある』クラスだった。

2.英語の授業
上記と同様に、こちらも基本的に、外国人の先生による英語による講義はあるけれどほんとに少し。(個人的には、そういった英語での講義もチャレンジしてみたいと思っていたので、そういう点ではちょっと残念な感じ。それでも、私の場合は、外国人の先生のクラスをなんとか2つだけ登録することにした。)
その中で、オーストリアの先生が『英語のみ』で教え、クラス内の質疑も生徒同士の議論も『英語のみ』という貴重な講義。
もちろんついていくのにタイヘンであったが、“プチ海外MBA留学”を体験しているようで、非常に刺激的だった。
最後の課題も10ページ程の『英語のレポート』を提出。海外の大学や大学院に留学するということは、全ての授業がこういう状況であるわけなので、それはハンパなく大変だろうなということが容易に想像できた。

3.実務に直結する内容ばかり
何より良かったのが、実際の職場でも頻繁に起こりえる問題を取り上げ、それに対するアプローチの方法を学ぶこと出来たこと。

例えば、取り上げるトピックは、(簡略化すると)下記のようなもの。

例題:【ドイツ企業の東京支社で働くドイツ人トップと日本人秘書の間の問題】

シュナイダー氏(ドイツ人の東京支社トップ)の話:
東京支社のマネジメントの仕事をオファーされ、熱意を持って取り組んでいるが、ひとつ悩みがある。
自分の日本人女性の秘書が自分の期待通りに動いてくれないことだ。
彼女は英語は堪能であるが、彼女は一日に約5回は自分のところに指示を聞きにくる。
その度に全てを説明しなければいけないのは多くの時間がかかり、他の重要なことに割り当てる時間を奪われストレスを感じている。
こんなことでは、当初、彼女にやらせようとしていたプロジェクトを任せて大丈夫だろうか。
彼は新しい秘書を雇うことを考え始めた。

たか子さん(日本人秘書)の話:
ドイツ企業の東京支社でドイツ人マネジメントの秘書の仕事を始めた。彼は日本語は話せない。
彼はとても忙しく、彼はよくストレスを感じているようであり、とてもキツイ言い方や時にやや粗い言い方もするため、コミュニケーションが非常に難しい。
別の問題は、彼が自分に期待していることが良く分からないことだ。ただ、そんなことをあれこれと質問したら、彼は多少なり怒ることは間違いない。
仕事は好きだが、よく気分が滅入ってしまう。
彼女は新しい仕事を探し始めた。

質問:『こういった状況に対して、ふたりは、それぞれどのようにしてこの問題を解決していくべきか?』

と、いったことをクラス内で議論し、アプローチの方法を学んでいく。
“こういうのリアルにあり得る~!”と言いたくなるようなトピックスばかりで、自ずと力が入るのである。


最後に、これから先、日本人以外の人たちと一緒に働くケースは増えることはあっても、減ることはないと想像できるので、『違いを尊重し、多様性をパワーに。』という「クロスカルチャー・マネジメント」の考え方は何よりも大事であり、もっともっと重要になると思う。

けれど、察しのいい方なら『ちょっと待てよ?』と気づく。
職場で、自分とは違う外国の人たちの働き方や文化や宗教を理解する為には、その人たちとの実際のコミュニケーションは必要不可欠だ。
そして、そのコミュニケーションで必要なのは、基本的には、「ビジネスの共用語」であり“グローバル言語”としての「英語」なのでは?!となる。

つまり、やっぱり、「英語」はコミュニケーションツールとして、とっても大切なんだ!!

というオチである。



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# by lateblooming | 2018-05-13 13:30 | 日本で再び転職 | Comments(0)

オトナも学ぶ

転職活動期間中、そして転職後の新しい環境での仕事をしながら、ビジネススクールに通っていた。
通っていた早稲田大学ビジネススクール(通称WBS ※ニュース番組「ワールド・ビジネス・サテライト」と被っているのがやや気になる)へは、学期によっても異なるが、私の場合は、週末に重きを置いて、概ね平日の夜7時~10時過ぎまでの授業を2日くらいと、毎週土曜朝9時から夜7時までの授業を合わせたパターンで通っていた。

自分の場合、いきなり苦戦したのが、「カリキュラム作成(授業登録)」だった。
大学時代は理系だったこともあって、授業は取らなければいけないものだけでも月曜から土曜の午前中までほぼ一杯で、ある意味それに従って授業に出ていれば授業スケジュールはほとんど考えずに済んだ。
つまり、『自分で取りたい授業を組む』という経験がほとんどなかったので、卒業に必要な科目と単位を計算して、それを自分の都合のいいスケジュールに当てはめて、“自分だけのカリキュラム”を作成し、更に今はそれをオンラインで登録期日までにアップするという一連の流れは、いきなり未体験ゾーンで、正直、何から手を付けたらいいものかと焦った。
そんな、フリーズして頭から煙が出ているワタシを横目でみていた奥さん(文系出身)が、見かねて『どの授業が気になるのか言ってみて!』と手伝ってくれた。というか、ナイショだが、初回のカリキュラム作成は結局ほとんど奥さんにやってもらってしまった。。(情けない)

ただ、当たり前だが、手伝ってもらえるのはここまでで、この後、実際に仕事と授業のタイトなスケジュールをやりくりしながら、山のような課題をやるのは自分である。
特に、大学時代は、課題や試験対策など、同期の仲間に頼ってばかりだった反省があったので、今回の大学院では、たとえ出来が悪かろうが極力他人の力は借りずに自分でやることにこだわることに決めていた。

そのような感じで、スタートしたビジネススクール(WBS)での学びは、特に以下のような機会が持てたということが期待していた通りかそれ以上に有益な点であった。

1.ビジネスを広い視野で見る
国内外の色々な、特に有名企業の「ビジネスモデル(収益の仕組み)」を学べるので、自分の携わってきた業界や会社以外のことを知ることで、自分の視野がグッと広がるのを感じられる。色々な業界や企業の動きに興味が出てくるので、新聞もより楽しく読めるようになる。

2.自分の仕事をよく知る
「ビジネスフレーム(分析方法)」を学ぶことで、ビジネスを論理的に分析できる。
私の場合、全ての課題を、徹底的に自分が関わりやりたい仕事である「カジノ/IR(統合型リゾート)ビジネス」をネタにしてやることにしていたので、自分の仕事をよりよく知る機会となった。これから先を見通す上でも役に立ちそうだ。

3.他のヒトから刺激をもらう
やはり一緒に学ぶ人たちには、優秀でパワーがある人たちが沢山いた。
生徒全体では、30代の人たちが一番多かったように思う。私のような40代も多くはないがそれなりにいた。ちなみに、稀なケースと思われるが、50代後半で大手企業のお偉いさんもいた。その方の奥様が『銀座の飲み代に消えるよりも学費に使った方がいい。』と快く送り出してくれたという話を聞いた時は、私はむしろ“銀座の夜の学校(高級クラブ)”に入学してみたいなと思ったものだ。
あと、女性も多くいた。感覚的には5分の2くらいが女性だったように感じた。
そして、海外のビジネススクールに行く日本人にはよくある「社費」で派遣されているケースもあることはあるが、むしろ少数派と言える。これは、国内ビジネススクールの特長でもあるが、おそらく全体の90%くらいは「自費」で来ていたと思う。
つまり、2年間で約200~300万円の学費を、“自分に投資して何かを得よう”としている人ばかりということ。当然、皆本気で学びに来ているので、刺激になることは多い。


あと一方で、個人的に少し戸惑ったのは、「懇親会」や「親睦会」という名の飲み会の機会が思った以上に多いということ。
30代の若い人たちが多いこともあって、こういった部分は少し“学生ノリ的”な部分もあるので、コレはどう上手く付き合うか人それぞれな部分。
それでも、仕事関係では知りえない他のビジネスパーソンと知り合えたり、教授の話を授業以外で聞ける機会が貴重であることは間違いない。

このように、国内ビジネススクールに通うこと全体については、個人的には、新しいことを学べる非常に有益な機会であった。
何歳になっても、性別も関係なく、それがどんな事であっても、オトナになってからも学び続けることは大事なことだなと改めて思った。

子供は、“よく学び、よく遊べ”
オトナは、“よく働き、よく学べ”




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# by lateblooming | 2018-05-06 12:52 | 日本で再び転職 | Comments(0)

ほぼ一社に絞られた転職活動は、転職エージェント介してセッティングされた2回の面接を終え、希望する会社のトップとの3回目の面接に臨むことになった。

採用面接全般に言えることでもあるが、特に転職の面接の場合は、新入社員採用の面接とも違って、決まりきったシナリオがあるわけではない。そういう点では、何が起こるか分からないスポーツの試合にも似ている。

サッカーを長いことやっていた私は、面接を受ける際には、大抵がサッカーの試合と同じように以下のような点を大事にしている。

1.自然体で試合(面接)に臨む
試合は、体調と気持ちの調子を整え、何よりリラックスして臨むに限る。
相手の出方、戦況に合わせて柔軟に動ける(返答する)ようにするには、自然体で頭がよく回るようにしていくことが一番大事。

2.欲しいボール(質問)をイメージしておく
試合がパターン(想定問答集)通りに進むことはないので、私自身は、準備は(丸暗記ではなく)ポイントだけを押さえていく。
ただし、自分がシュートするために自分が欲しいラストボール(質問)は、幾つかイメージしておく。試合の中で、チャンスはいつ来るか分からないが、もし来たら逃したくない。

3.シュートは枠に飛ばす(返答は相手の許容範囲内に)
いつまでもパスを回していても試合は決まらない。
だからシュートチャンスは思い切りいきたいところだが、ふかしてシュートが大きくゴールの枠から外れるのは注意したい。みんながガッカリする。
いいシュートを打てるかどうかは、練習(事前の準備)次第。ゴールの大きさ(希望する会社の求めるもの)をしっかり頭に入れておく。


トップとの面接の終盤、試合を決する重要局面を迎えた。

私:『海外に関わる仕事で、私が貢献出来るのはどんなことがありますか?』
(自ら、ボールをサイドに展開して、ラストボールに合わせるためにゴール前に走りこむ。)

(そして、センタリングがあがってきた。)
トップ:『海外の仕事は幾つかあります。例えば、日本にいて、日本の開発部門と海外のセールスオフィス間で色々調整してもらう仕事。』(なるほど、確かに重要な仕事だ。)
『フィリピンの工場でも日本人が必要。』(モノ作りもアジアもやり甲斐ありそうだ。)
『あと、オーストラリア(シドニー)のオフィスに日本人がいないので、誰か日本人がいた方がいいと考えている。』(!!!)

私:『オーストラリアであれば、明日からでも行かせていただきたい!』
(ダイレクトで思い切り合わせて振りぬいた。枠に飛んでくれ~!と祈りながら。)


数日後、転職エージェントから、

『オーストラリア赴任を前提として採用となりました。』

との連絡が来た。“ゴール”は決まっていたようだった。
こうして、無事に転職が決まり、再びシドニーでの仕事が出来るチャンスに向けて動き出すことになった。


“打たなければ、シュートは100%入らない。”
(ウェイン・グレツキー/アイスホッケー選手/カナダ)



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# by lateblooming | 2018-04-29 10:59 | 日本で再び転職 | Comments(0)

今の時代、転職活動は「転職支援サイト」に登録すれば、“オファー”や“スカウト”メールが沢山送られてくるし、「転職エージェント」に日程調整などもサポートしてもらえる。
それに、昨今は、“人材不足による売り手市場”や“転職市場も過熱気味”等の話もよく耳にする環境でもあるので、転職活動という一つの手段を通じて、自分の可能性や本当にやりたい仕事について考えてみる機会としては決して悪くないと思われる。

個人的には、自分がやりたいと思っていた新しい仕事にチャレンジする為に、業種や職種を変えるという『キャリアチェンジ』の転職を考えている人は、特に応援したい。
実際、自分もそういう経験を2度ほどしてきているから。

そういったキャリアチェンジの転職活動には、以下のような点がポイントになるのではないかと思っている。

1.『共通項』を無理矢理でもひねり出す
企業の採用側が一番欲しい人材は、当然ながら、出来れば同じ業界の経験があって、募集ポジションの職種の十分な経験もある候補者だろう。
この事を分かっているからこそ、“出来れば、本当に好きな事をやってみたいけど、経験がないからムリだ。”と、一歩踏み出すにはなかなか勇気がいる。
そんな時は、「自分が本当にやってみたい仕事」と「今やっている仕事」との『共通項』を探し出す。極端な話をすれば、セールスという「売る仕事」はほとんどどんな業種でも必要だし、「事務作業」のない会社なんて存在しない。このくらい大きなところから考え始めて、相手が“そう言われりゃそうだな”くらいに思わせるような『共通項』がひねり出せたらグッド。

2.「情熱」を思い切りぶつける
“この仕事が絶対やりたいんです!”、“経験はないけれど、この業界で働きたいんです!”という『情熱』が伝えられるかはキャリアチェンジを目指す場合には一番大事と言ってもいいと思う。
どうやって、その『情熱』を伝えられるか、それが勝負どころだ。

ちなみに、私が一番最初に大きなキャリアチェンジ(電機・通信機器メーカー⇒スパコンサルタント会社へ転職)をした時は、自分がプライベートで行きまくったSPAやマッサージの資料と、その全ての施設を自分が勝手に評価した「スコアリスト」をひとつのファイルにまとめて、面接の最後にドーンと机の上に出した。“業界経験はないけど、お客としての経験は負けません。”というのを、コトバ以外で伝えたかった。

3.『英語(海外勤務経験・TOEICの点数)』を味方につける
今の時代、どんな業界の仕事であれ、「海外市場」や「海外の競合他社」や「外国人のお客さん」と全く関係のない仕事は、見つける方が難しいくらいだろう。
だからこそ、たとえ上記の『共通項』と『情熱』が多少弱い場合でも、もし、『英語』に関するポジティブな情報が履歴書や職務経歴書にあれば、それは間違いなく、採用者にとっても必ず目が行くポイントであることは容易に想像できる。
「海外勤務経験」は非常に注目してもらえることは確かであるが、たとえそれがなくても、特に「英語試験(TOEICなど)の点数」は、ある意味「海外勤務経験」よりもモノサシが明確なので、希望する会社の期待する英語水準を上回っていたりすれば、それだけでも、少なくともカンタンには落としたくない候補者と考えられるはずだ。

そして、何よりもいいのは、学歴も職務経験も今から過去に戻って変えることは出来ないが、『英語』については今からいくらでも変えられる(改善できる)のだ!

ぜひ、『英語』という名の花を咲かせましょう!



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# by lateblooming | 2018-04-21 22:10 | 日本で再び転職 | Comments(0)

プロ野球やJリーグの選手が、エージェントを使って海外のチームへ移籍を成功させているニュースはよく目にするが、今や、我々一般人(アマチュア)もエージェントを使える時代だ。
そう、「転職エージェント」は、その最も身近な存在と言えると思う。

それまで、自分自身は2度ほど転職をしていたが、どちらも行きたいと思った会社に「直接応募」して転職していた。それを今回は、“時間との戦い”という面が大きかったこともあり、初めて「転職エージェント」を活用して転職活動を進めてみることに決めた。
それに、せっかくなら、新しいことを経験した方がきっと新しい何かが得られるだろうという気もしていた。

参考までに、転職エージェントを活用した転職活動の基本的な流れは以下の通り。

①転職支援サービスのサイトに「履歴書・職務経歴書」をアップ。(サイト内のフォームに入力する)
②その履歴書を多くの転職エージェントの皆さんがチェックして、「お勧め転職先のオファー」を送ってきてくれる。(サイト内個人ページに通知が届く)
③オファーの中に関心があるものがあれば、そのエージェントに返信して直接話を進める。(断るのも進めるのもサイト内でカンタンに行える。)
④企業への書類提出や面接アレンジなどは全て、そのエージェントが間に入って進めてくれる。(コレが一番有り難い!)

ちなみに、サイトに職務履歴などをアップデートする作業は、それなりに時間もかかり骨が折れるので、私は、2つの転職支援サイト(ビズリーチとリクナビ)だけを使うことにした。

そして、おそらくは多くのひと達が、『私なんかをサポートしてくれるエージェントがいるだろうか?』『私にオファーなんかくるのだろうか?』といったことを不安に感じてしまうのではないだろうか。ワタシだってそうだ。
しかし、これは実体験上、全く心配する必要はないと断言できる。
なぜなら、転職エージェントの方々にとっても、大事な「仕事」なのである。
サポートした転職が成功した際には、正確な数字は分からないが、転職者の年収金額に対する一定の割合(10%~15%くらいか)をコミッションとして、転職エージェントが採用企業から受け取ることになる。だからこそ、サポートする転職希望者が転職に成功、それも出来るだけ高い年収で決まる方がいい。だから、転職希望者とエージェントは、ある意味で“運命共同体”であり「パートナー」でもあるのだ。
当たり前のことのようであるけれど、このことが頭にあるだけでも、少し心のハードルが下がって、一歩踏み出しやすくなるのではないだろうか。

そして、実際にやってみて分かったのだが、転職機会やオファーは自分が想像する以上に多い。自分の情報をアップした直後は特に多い。
だからこそ、いいパートナー(転職エージェント)を見つけたい。それには、個別に連絡を取ってみて、本当に熱心に自分をサポートしてくれるヒトかどうか見極めていくしかない。
そういう点でも、転職活動は出来るだけ時間をかけた方がいい。(と、時間に追われる転職活動を余儀なくされたからこそ強調したい。)

と、上記が、おそらく一般的な転職エージェントの活用のポイントになると思うのだが、私の場合は、少し「戦略」が異なった。
なぜなら、私の場合は転職したい会社がほぼ明確に決まっており、それが2社くらいしかないので、何がポイントかというと、「希望の会社(その2社)に繋がっているエージェントを探す」ということであった。
つまり、欲しい情報を待つのではなくて、自分で探して掴みにいく方法である。

実際、幸運にも、その方法で希望していた1社に繋がるエージェントは比較的すぐに見つかり、希望通りすぐに面接に辿り着くことができた。
一方で、もう1社と関係を持っているエージェントはなかなか見つからなかった。
そして、ようやく、その会社と連絡が取れるエージェントに出会えて、募集の有無を確認したところ、『今は(私の希望するようなポジションは)募集していない。』との返答だった。

こうして、勝負は一社に絞られることとなった。



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# by lateblooming | 2018-04-14 11:33 | 日本で再び転職 | Comments(0)

譲りたくないもの

自分が置かれた環境で、何も不満がなく、全てがハッピーであれば言うことなしだが、なかなかそうはいかない。
仕事をする環境でももちろん同じこと。
どういった場所(会社)で働きたいかを考えるとき、何にこだわるかは大事な問題だ。

こだわりポイントは、人によって、年齢によって、はたまた生活環境によっても様々だろう。
給料、仕事の内容、ポジション、勤務地、労働時間の長さ、職場の人間関係、会社の将来性、休暇の取り易さ、福利厚生の充実度、などなど。

実際にどれも大事なものばかりで、「優先順位」を付けろと言われても困ってしまうが、私の場合は、

「一番譲れないもの」は何か?

を考えるようにしている。
そして、それは「自分のやりたい仕事ができるか」に尽きる。

その当時(も現在も)、やりたい仕事は「カジノ/IR(Integrated Resort)ビジネス」に関わる仕事である。
(どうしてこの仕事にそんなに魅力を感じているかは、また別の機会に。)

シドニーから日本へ帰任した後は、幸運にも、K社本社内の新規プロジェクトとして、日本のカジノ合法化を見据えた「日本のIRビジネス」に関する仕事に携わることができ、非常にやり甲斐を感じていた。
ただ、「日本でのカジノ合法化」は当初予想していた時期からは、どんどん遅れていたこともあり、ある日、そのプロジェクトチームが突如解散。そして、社内の「カジノ以外のプロジェクト」へ異動となるとの急な内辞がされた。

私にとっては、そもそもカジノの仕事をしたくて転職してきた会社だったので、正直、ショックであった。
“少しガマン”すれば、またいつか社内のカジノの仕事に戻れる可能性もあるかもしれないとも考えた。
それでも、やっぱり「やりたい仕事」を出来ないことは自分としては一番譲れないことだったため、再び『転職』を決意した。

一旦、異動後の新しい仕事が始まってしまったら、時間が経てば経つほど担当する仕事は増えて動きにくくなることは容易に想像できたので、出来るだけ早く転職をする必要があった。時間との戦いだ。

そして、そもそも日本には未だ市場がないので、自分がやりたいと息巻く「カジノビジネス」をやっている会社自体が少なく、その時働いていた会社も入れて、日本にはせいぜい2~3社しかないというのがかなりチャレンジングであった。そもそも、それらの会社が人を募集しているのかが基本的な問題。

更に、タイミングは、ちょうど合格していたビジネススクール(大学院)に入学する時期。
「会社と学校の両立」というそもそもあったハードルを、自ら「転職活動」の分も引き上げてしまった格好になった。

こうして、再び、日本での転職にチャレンジすることになった。


くだらないプライドは捨ててしまえ。
ただ、譲れないものを守るために、時には戦わねばならない。
(by ユウイチ)


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# by lateblooming | 2018-04-07 11:54 | 日本で再び転職 | Comments(0)

一瞬学生気分

大学のビジネススクール(MBAコース)に通うということは、「学生」になるということでもある。
ただし、自分が通うことになったのは、ビジネススクール(MBAコース)の「夜間主総合」という、授業は平日夜間と土曜日に行われる基本的に社会人の為のコースだったので、『会社は辞めずに、仕事をしながら通える。』ということである。
この“会社を辞めないでいい”というのが、海外ビジネススクールに比べた国内ビジネススクールの最大の利点の1つであり、私の学校選びの最重要ポイントであった。

参考までに、私は「早稲田大学ビジネススクール(早稲田大学・大学院商学研究科ビジネス専攻/通称WBS)・夜間主総合」という2年間のコース一本に絞って1校だけに絞って受験したが、学校選びのポイントは以下の通り。

1.“人気のあるコース”である
これは結構大事なことである。「人気がある=多くの人が集まる」と言い換えることもでき、誰でも入れる学校ではないということは優秀な人達が多いコースと理解できる。(私が受験した頃の合格倍率は、大体4~5倍だったと思う。)
これまでの自分の経験で、スポーツのチームでも会社でも英語の学校でも、自分よりも優秀な人達と一緒にいることは、非常に刺激になり、自分も成長できることを実感していたので、ビジネスもそういう場所で学びたいと思った。
そして、人気がある学校の主な理由は、「教授陣」が魅力的であるということでもある。
実際に、受験前に行ったオープンセミナーなどで、『この先生の授業を受けてみたい』と思わせる話が聞けたり、大学として、このまだ比較的歴史の浅い「ビジネススクール」というものへの力の入れ方も感じられたことも、学校選択の迷いを無くすのに役立った。

2.通える場所にある
当たり前だが、仕事をしながら学校に通うためには、これは超大事。
私の場合は、帰国後の職場が六本木で、住まいが中野だったので、学校のある早稲田は家から東西線で3駅というパーフェクトな場所であった。
ちなみに、学校に通うようになってから知ったが、静岡県の掛川から新幹線で通っている方もいて驚いた。(その方は、金曜の夜に授業後にホテルに泊まって土曜日の授業に出て帰るということをしていた。スゴイ。)
そう考えると、社会人が大学の夜間のコースで勉強したりすること自体が、地方に住んでいる人にとっては、かなりタイヘンなことであり、大きな都市に住んでそういった機会が比較的容易に得られるということは恵まれているんだなとつくづく感じた。それなら、その恩恵を最大限利用すべきだと。

3.IR(Integrated Resort)/カジノビジネスに関心あり(そう)
自分の携わるビジネス、つまり日本では未だ合法化をされていない「カジノ」というビジネスについて、少なくともネガティブな受け止め方をされないかは、ある意味死活問題であった。
ただし、その点では、早稲田大学では既にその時点で、学内に教授数名が関わる研究プロジェクトで「カジノを含む統合型リゾート」に関する調査テーマがあったり、その中の教授がビジネススクールでもクラスを持っていたりしていることが分かっていたので、『行くならこの学校』と決めていた。


こうして、社会人になってから、再び自分の行きたいと思った学校で勉強を出来るといういうのは、ワクワクした。
正直、“ザ・大学のキャンパス”と言えるような早稲田大学(本校)キャンパスに通えるというのも、ちょっとテンションが上がった。
これは特に、自分が大学生時代に通っていた中央大学の理工学部の校舎は、後楽園近くの街中にあるキャンパスで、非常に便利な場所にあったものの、キャンパス自体は校舎以外はかろうじてテニスコートがあった程度の小さなキャンパスで、更には、当時は“リケジョ”ブームの到来前、ほぼ“男子大学”状態の理工学部のキャンパスライフに華やかさは全くなかったことも要因であった。

そして、4月の入学セミナーの時は、現役生の入学時期とも重なり、サークルへの新入生歓迎シーズン真っ只中で、キャンパスはすごい賑わい。
もし“少し浪人時代が長かった新入生”と間違われて、サークルの勧誘に合ったらどうしようか?!さりげなく『社会人ですから』と断ろうかと、ドキドキしてキャンパスを歩く。
そして、結果、全く誰からも声をかけられないまま会場へ到着。。
大学を卒業して約20年経っていると、さすがに学生には見られないことが実証された。(当たり前か)

そして、この瞬間から、少し浮かれ気味の学生気分を振り払って、改めて、ビジネスの勉強に集中すると決意した。
こうして、仕事と大学院での勉強というチャレンジングな生活が始まった。

しかし、同時進行でこれにもう一つ、“大きなチャレンジ”も加わるのだった。



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# by lateblooming | 2018-03-31 11:19 | 日本へ帰任 | Comments(0)

何かを学びたいと思ったとき、ときには、その為の学びが必要だったりする。

例えば、ビジネススクール(大学院のMBAコース)でビジネスを勉強するためには、そこに入学する為の勉強が必要になる。そしてそれが結構大事だ。

海外のビジネススクールと国内のビジネススクールの一番大きな違いは、英語で勉強するか日本語で勉強するか。(国内にある海外の大学のMBAコースでは英語で勉強するところもあるが、数は少ない。)

したがって、そこに入学するための提出書類や入学試験も当然違ってくる。
海外であれば、やはり「英語」が最重要となる。
それが、国内であれば、「エッセイ・小論文」が重要になってくる、と私も準備を始めて分かった。

そして、この「小論文」というものが私にとっては一つの大きなチャレンジだった。
なぜなら、私自身は、大学が私立大学の理工学部であった為、これまで「小論文」の試験を受けたこともなければ、小論文の勉強というものをまともにした経験がなかった。

実は、日本へ帰国してからほんの数ヵ月後に、ほぼ勢いだけで、早稲田大学ビジネススクールを受験してみたのだが、一次の筆記試験で見事不合格であった(苦笑)
実際、一次試験の「小論文試験」は、全く手応えがなかった。

ただ、それでスイッチが入った。
「小論文」の勉強をちゃんとして、もう一度受験してみよう、と。
そして、国内のビジネススクールへ入学する為の予備校で、小論文の勉強をすることにした。

私が感じたところの(ビジネススクール入学試験用の)小論文の勉強のポイントは以下の通り。

1.手で沢山字を書く
ふざけているワケでなく、このパソコン・スマホの時代、「字を書く力」は相当落ちている。
その中で、小論文の試験では、2つの小論文の試験があって、それぞれ大体1時間半と2時間。文字数指定は、それぞれ800字以上とか1,200字以上とか。つまり、3時間で200文字の原稿用紙を10枚以上を書き上げるイメージだ。手がつる。

2.早く考え早く書く
試験時間には当然、問題を読み、書くテーマを決めて、文章を構成して、そして書く作業が含まれる。
文字制限が○○○字以上とあるので、『ポイントを押さえれば短くてもいいんでしょ?』は通用しない。
更に、厳しいハードルが、「ボールペン」で書くということ。消せるボールペンを使っていいとはいえ、鉛筆よりも消すのに苦労するので、出来るだけ消す作業は発生させたくない。
つまり、書き始めるまでに、文章構成をいかに短時間で固めるかが勝負の分かれ目となる。

3.ポイントを押さえて書く
当たり前だが、ただ書けばいいわけではない。
これからビジネスの勉強をする能力を測る試験なのだから、ビジネスの基本知識に基づく内容を書く必要がある。この、「ビジネスを学ぶ上で、最低限抑えておかなければならない考え方」を知っているのと知らないのでは大きな差がつく。この部分は、特に予備校に通う価値がある部分と言える。

ちなみに、私が毎週末通った早稲田にある予備校では、課題を事前に読んでおき、授業の初めに試験のように時間を制限して短い小論文(原稿用紙2枚くらい)を仕上げ、解説、翌週に添削されたものが返却という、上記の部分が強化されるような授業構成になっていて、個人的には非常に有益なものだった。
更に言えば、翌週に模範解答的な生徒の回答が全員に配られるのだが、そこで何回か自分の回答が選ばれていたりして、かなり調子に乗って一生懸命頑張った。やれば出来るオトナ(おじさん)YDOである。

こうして、再度チャレンジした早稲田大学ビジネススクールの小論文試験では、『ベストは尽くした』と言える状態であり、無事に一次試験を突破。
その後の2次の面接試験では、(作戦通り)自分が携わっているIR(Integrated Resort)/カジノビジネスの話で結構盛り上がり、結果、無事に「合格」することが出来た。

小論文を学ぶことを通して、入学の前に、これから学ぶことの概要を理解できたことで、より入学後の学びが楽しみになった。

もうひとつ付け加えるとすれば、小論文の勉強を通して、「自分の意見を書く」というのは面白いなと思うようになった。
それがなければ、このブログも書き始めていなかったかもしれない。




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# by lateblooming | 2018-03-24 09:28 | 日本へ帰任 | Comments(0)

シドニーから日本へ帰ったとき、もっと「ビジネス」について学びたいと思うようになっていた。
それもシドニーで仕事をした経験からのことだった。

これまでの自分の仕事のスタイルは、基本的に「経験」から得たことを最も重要視して、まずは「やってみてカラダで覚える」という、言ってみれば昭和的な体育会系のノリでやってきた。
ただ、これがシドニーの比較的小さな海外拠点で、広い範囲の業務に関わるなかでは、それだけでは通用しないことを痛感した。
自分の経験していない部門の業務になると、「経験」という軸がないので、その部門の現地人マネージャーと議論するのもかなり苦労した。
簡単に言えば、話したいことがあっても英語で苦労するのに、話したい内容自体がグラついていたら、ダブルパンチでにっちもさっちもいかないということだ。
そこから抜け出すには、「知識」という軸も必要だと実感した。
『ビジネス全般』、そして『経営』についての知識をもっと身につけたいと思うようになっていた。

そうして、日本に戻ってからすぐに、以前より興味のあった「MBA(Master of Business Administration/経営学修士)」コースで学んでみたいと思うようになった。

ちょうどその頃、日本でも「国内MBA」がにわかに活気づいていた。
国内の大学が大学院の教育課程として「MBA」のコース(一般的に、ビジネススクールという呼び方をする)を持つようになっており、今までは“MBA=海外留学”であったが、そこから少し変わってきたということ。
つまり、一番の大きな違いは、これまでは、MBA取得の為には会社を辞めるか、企業派遣としてMBA留学するのが主な方法であったが、これからは、選択肢として、日本でもMBA取得ができるようになったということ。それも、夜間や週末にクラスがあるコースもあり、『仕事をしながらでも学べる』のである。頑張れば。

そして、国内大学のビジネススクール(大学院のMBAコース)に通うことを目指すことに決めた。
志望校は、早稲田大学ビジネススクールとした。



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# by lateblooming | 2018-03-18 19:58 | 日本へ帰任 | Comments(0)

「誰が言ったか」よりも「何を言ったか」を大切にしたいと思っている。

日本では、どうしても“声の大きなヒト”の意見が「正しい」ということになりがち。
学校だったら、クラスの人気者が言うこと。
職場だったら、ポジションの高い人が言うこと。
世間では、バラエティ番組の「ご意見番」の言うこと。

“○○さんが言うんだから、間違ってないんじゃない?”
そうやって、その意見をフォローするのは楽チンだ。
しかし、その考えが通じなかったのが、シドニーの職場での経験だった。

現地のセールス管理と購買部門のマネージャーをしていた時、3人のローカル女性のスタッフがいた。
彼女たちに必要な作業を頼む。簡単に言えば「上司から部下への指示」だ。正直『ハイ』の一言でその作業に取り掛かってもらいたい。
ところがどっこい、そう簡単にはいかないのがオージー娘たち。
その作業内容に納得がいかなければ、なかなか動かない。露骨に嫌そうな態度をしたり、しょうがないなという顔をしながら渋々作業を始める。そうなると、当然、上がってくる仕事の結果も期待値からは程遠いものになってしまう。
これでは仕事が回らない。

それで少し考えを変えてみた。
彼女たちが、その作業が自分たちがやるべき「正しい」作業であると納得してやってもらえるよう、指示する作業の内容をしっかり考え、それが本当に必要なことであることを丁寧に説明することを心掛けるようになった。

そうすると、不思議なことに、彼女たちも協力的になって仕事が上手く回り始めた。
自分の考えを伝えようと一生懸命になることで彼女たちとのコミュニケーションも増えて、チームの雰囲気もとても良くなった。

そういったシドニーでの経験は日本に戻ってからも忘れていなかったので、少しして新規プロジェクト部門の課長になって、他のチームメンバーに作業を頼むときも、その「内容」と「説明」を大事にすることを心掛けた。
チームのメンバーも優秀な若手ばかりな上、自分のその意識のお陰もあってか、チームメンバーから上がってくる仕事の結果は、こちらの期待を上回るようなものばかりで、いつも『日本はなんて仕事がしやすいんだ!』と感激していたのを思い出す。

一方で、それもシドニーでじゃじゃ馬オージー娘たちと一緒に仕事をした経験があったからこそと、彼女たちにはホントに感謝している。

そして、自分が上司から仕事を振られたり、他人の意見を聞くときも、「誰が言ったかではなく何を言ったか」を意識して、必要なときには反対意見であっても自分の考えをしっかり述べるようにしたいと思っている。



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# by lateblooming | 2018-03-11 08:39 | 日本へ帰任 | Comments(0)

余談(帰省中のこと)

久しぶりの日本での休暇からシドニーに戻ってきた。

日本で会った親族や友人と話す中でも、幾つか「英語」に関する話も出てきたりした。
テーマは人それぞれ。

『今、TOEIC500点だけど、会社で求められてる600点に到達するために、どう勉強したらいいかな?』
『子供達が通う小学校の英語の授業は、週1回か2週間に1回くらいかな。外国人の先生だと思う。』
『自分の子供には、絶対、外国人の先生がいる英会話教室に通わせたい。』
『私、英語には興味ないんだよね。』
などなど。

ヒトによって、英語との関わりは様々。それが当たり前。
だから、英語への取り組みの方法だって、ひとつの正解があるわけではないと思う。

それでも、私自身の、子供の頃の「アルファベットへの苦手意識」からはじまって、現在3回目の「海外駐在」でシドニーで生活するに至るまでと現在の英語への取り組み(悪戦苦闘)の経験は、何かしら皆さんの参考になることを含んでいるのではないかなと思いながら、いつもこのブログを書いている。

今までちゃんと説明もしていなかったけれど、気づけば1年以上続いている(!)このブログは、

英語に触れる機会のある全てのヒトへの応援歌であり、英語をもっと上手く使えるようになりたいと奮闘する自分への応援歌のつもりで書いている。

ちなみに、地元に帰ると必ず飲みに行く友人からは、
『ブログの書籍化はまだですか?』と訊かれたが、ハイ、もちろん、まだです(笑)


最後に、今回日本で買った唯一の“自分へのお土産”は、

「英語の辞書」

この電子辞書全盛期に敢えて紙の辞書を買うということで、デジタル時代にアナログへの回帰か?!という感じではあるけれど、英語を勉強する上で、“もっと辞書と仲良くなってみようかな”と思い、一冊しっかりした英和辞典が欲しくなって購入。

昔は、“ボールはトモダチ”。これからは、目指せ“辞書はトモダチ”!!

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# by lateblooming | 2018-03-03 09:16 | 2度目のシドニー生活 | Comments(0)

コアラな娘の学校選び

シドニーから日本へ帰国になった際、1つ頭の痛い問題が、娘の学校のタイミングだった。
日本で言うところの中学3年(オーストラリアのYear9)の9月に帰任だった。つまり、そのタイミングで私のビジネスビザは切れ、同時にそれにヒモづく家族のビザも切れることになるので、そのまま現地の学校に通うことは出来なくなってしまう。
しかし、日本の高校の受験資格を得るためには、なんとかYear9が終わる12月までの『あと3ヶ月』をなんとか現地校に通い続ける必要があった。

そこで、最終的に取った作戦は、娘がオーストラリアで「学生ビザ(Student Visa)」を取り直し、奥さんはそれにヒモづく「保護者ビザ(Guardian Visa)」で一緒に残り、3ヶ月間改めて家を借り直して、なんとか帰国受験資格を得るというもの。(会社とは関係ないので、全て自費で。)
その一方で、私は、東京六本木のオフィスに通うには(静岡県三島市の実家からはちょっと通勤がキツイので)東京にある奥さんの実家に居候させてもらうことになった。
つまり、3ヶ月間、“サザエさんのいないマスオさん”状態ということだ。

そして、先に一人で日本に居るということで、娘の受験候補の高校見学の「任務」も課せられた。
「任務」とは言ったものの、実は個人的には、「学校見学」は結構好き。自分の時代と今の学校の雰囲気や教育の違いなんかは大変興味深い。
それ以前も、シドニーで通った日本人学校と現地校も、私が先陣で見学していた。

そのようなわけで、シドニーから飛んでくる「指令」により、私が向かったのは帰国生も多く通うという数校だった。
実際、それぞれの学校の公開日に訪れて、先生や時には生徒さんの話を聞き、そこで学校生活を送る生徒さん達の様子を見ることで、ホントにそれぞれ学校の方針や雰囲気に違いがあることが分かる。

そして、それぞれ特徴がイイとか悪いとかいうよりも、どういう特徴なら、オーストラリアで伸び伸びそだったコアラな娘に合うか。そして、自分ならどういった学校で学んで欲しいかということを考えた。

ちなみに、私が見学した4校もそれぞれの特徴に違いがあって、面白かった。

例えば、

S.M高校:とても勉強の出来る生徒が沢山いる学校ということもあってか、私が感じたのも「カッチリした学校」という印象だった。高校模擬国連国際大会にも参加しているというのは個人的にはとてもいいなと思った。

T.K高校:見学日に参加者に話をしてくれた先生が、『ここは日本ですから、帰国生に日本での生活ルールをしっかり身につけて欲しい。』という言葉が印象的だった。確かに、いわゆる「日本の高校生」という経験を知るのも悪くはない。

T女子高校:女子高というだけで、私としては勝手に好印象。更に、娘がシドニーで州大会に出るくらいまで頑張っていた新体操部もあったのもいいかなと思った。ただ、説明会で話をしてくれた生徒さんが『最初は、周りから“変わってるね”と言われましたが、少しすると日本の生活にも慣れて言われなくなりました。』みたいな話をしていたのが、ちょっと気になった。天然オージー産のコアラな娘は大丈夫だろうかと。

I高校:帰国生の数が全体の3分の2ということもあり、非常に自由な校風を感じた。
実際、校長先生の『多様性を大事にしています。』というお話は、私が何より一番聞きたかったことだった。また、多くの見学者の人達を前に堂々とリラックスして時に冗談も交えたスピーチを披露してくれた生徒会の女子生徒さんからも、その自由さを満喫しながらも非常に優秀であろうことがうかがい知れた。
学校の敷地内も、併設されている大学の広いキャンパスのおかげでとても開放感があった。
正直、『ここ、オレが通いたいよ。』と思った。

結局、娘もI高校を希望し、無事に帰国受験に合格してそこに通うことになった。

実際に、娘の学校生活からも、“世界各地で棲息していた様々な動物たち”(=世界各国からの帰国生たち)との学校生活を通して、「多様性」を感じながら、また生徒の自主性を重んじる「自由な雰囲気」の中で、いい刺激を受けながら学校生活を送っている様子がうかがえた。
部活は全国大会にも出場するようなダンス部に所属したことも、いい経験になっていたようだった。

こうして、オーストラリアのシドニーで伸び伸び育ったコアラな娘は、東京の小金井にある“帰国生のサファリパーク”のような学校で、引き続き伸び伸びと成長していった。


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# by lateblooming | 2018-02-10 11:42 | 日本へ帰任 | Comments(0)

英語のムチャ振りに注意

5年間生活したシドニーから日本へ戻ると、K社本社で以前に所属していた経営企画部門へ配属となった。

自分の5年前の希望的な見込みとしては、数年シドニーにいて日本に戻るときには、日本もIR(Integrated Resort)/カジノが合法化していて、自分の海外での現場経験が活かせる場が出来ているだろうというものだったが、残念ながら見込みは外れて、まだ日本では政府内でのIR/カジノ合法化の議論は継続中であった。
それでも幸運だったのは、その合法化の議論はちょうど「近いうちに合法化か!?」と盛り上がりをみせており、社内でもその動向が注目されていたので、そういった業務にも関われる機会が得られそうな状況であったことだった。

そんな環境の中で、日本での業務がはじまった。
そしてすぐに気づいたのが、海外に数年住んで日本へ帰国すると、もれなく周りの人達からは「英語がデキる人」と見られるようになることだった。
きっと、これは多くの日本の会社でも共通することだろう。そして、そういった見方をされるのは、住んでいたのが、アメリカやイギリスやオーストラリアのように英語を母国語とする国に関わらず、それがアジアの国だろうが、フランスやブラジルだろうが、基本的にあまり関係ない。
『海外にいたんだから、英語はペラペラでしょ~』となる。

そうなると何が起こるかというと、日本の職場では、「英語」が絡む仕事があると何でもかんでもムチャ振りされるケースが増える。
基本的に、そういったことも役割のひとつであることは間違いないのだが、自分の実力以上のことを要求されることも結構多いので、そんなにカンタンな話ではない。
例えば、

『この英語の資料をすぐに日本語に訳してくれる?』

これは、日常茶飯事である。正直、海外で働いていたからといって「翻訳」がメイン業務というわけではないので、結構時間もかかるし骨が折れる。そして、当然ながら日本でも和訳や英訳業務は大抵メイン業務ではないので、出来るだけその作業に充てる時間は短縮しなければならない。

もっとキツイのは、

『外国からお客さんが来るので、会議で通訳してくれる?』

これは、正直、「通訳」のスキルが問われるので、相当な英語レベルでないと基本的には対応出来ないレベルの仕事だと思う。これは、極力安請け合いをしないに限る。
それでもプチ通訳レベルの機会は多く発生するので、その都度緊張を強いられた。

それでも、こういった英語関連のムチャ振りを受けることは、大変さを差し引いても決して悪いことではないと思っている。
「自分の英語力を超える仕事」を少し背伸びしてでもやろうとすることで、新しい英語の世界に触れることが出来る機会を得られる。そして、もし自分の英語力で足りない部分が分かれば、それが「新たな目標」になる。

私の場合は、和訳・英訳の翻訳系作業からは、「英語を読む早さ」「英作力」、そして何より「英単語力」アップの必要性を。
通訳系業務からは、「英語のリスニング力」の根本的なレベルアップの必要性を痛感。それに加えて、初めて、「通訳のやり方」の基本に対する興味も湧くきっかけとなった。

そして何より、自分の実力さえ勘違いしなければ、周りのヒトから「英語のことで頼られる」なんて、なんと素晴しいことであろうか。

一方で、英語のムチャ振りは、ムチャ振りする方にならないようにすることも大事だと思う。

例えば、職場で、海外に1~2年行っていた若手を捕まえて、

『Aくん、これ英語でメールしたいんだけど、英訳おねがーい!今度、夕飯ご馳走するから~』

などと英訳を頼んだりするケースがあるが、意外と、戻ってきた後の英訳を見て、

『ありがとう。(・・けど、この英語ってホントに合ってる??!)』

と、不安になることはないだろうか。そうなんです!そういう時は、作ってもらった英文は大抵間違っているか、本当に言いたいことからポイントがズレていたりするんです。
更に、ちょっとこの英文の文法おかしいなと思いながらも、頼んでしまった手前、修正し直すのも失礼とか考えてそのまま出してしまう。そうすると、
→先方にも意図が伝わらずに余計な時間がかかる。
→その後、自分で頑張って書き直したら、予想外にそっちの方が伝わって解決。
→しかし、トラぶった分、関係者からは『英語が苦手なヒト』と見られてしまって、ガックリ。
→Aくんには、約束した手前食事をご馳走する。が、正直、こっちがご馳走してもらいたいくらいだ!と思いながら。。

と、これはちょっと極端な負のサイクルの例ではあるが、意外と陥ってしまいがちなシチュエーションでもある。

何が言いたいかというと、他の人に英語のムチャ振りをするくらいならば、本屋へ走って「英作文事例集」でも一冊買って、これまでの自分の英語力を総動員して、思い切って自分で英作して出した方がいいということ。その上で、不安なポイントだけを(これ大事)、社内で“頼みやすそうな人”に頼むのではなく(これもっと大事)、確実に英語について信用出来ると思える人にチェックしてもらうのがいいと思う。
その上で失敗してしまうのは、絶対に自分の英語力アップにつながるし、次は失敗しなくなる。
そして、無駄にご馳走しなくて済んだお金を、TOEIC受験一回分(5,725円税込)に使う!とかね。

長々と書いてしまったので、最後に、まとめを“サラリーマン川柳”風にさらりと。

ムチャ振りは クサらず 心で「ありがとう」

ちょっと待て そのムチャ振りは ケガのもと

お粗末。


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# by lateblooming | 2018-02-03 12:26 | 日本へ帰任 | Comments(0)

「やり残した」というコトバからはネガティブな印象を受けがちだが、そうそう悪いことではないと思っている。私自身は、むしろ、『いつか出来るようになってやろう』という気持ちを生み出すパワーになると感じている。

人生、「別れ」と「帰国(会社)の辞令」はコントロールできない。そして、どちらも大抵予期せぬタイミングでやってくる。
そして、急な環境の変化は「やり残し」を生む。

シドニーで日本への本帰国の話があった時点で既に4年は過ぎていたので、「期間」としては決して短いとは言えない。それでも、心の準備が十分でなかったやや突然の帰国辞令で、自分なりに振り返ってみると、『これは出来たけど、あれはまだ出来なかったなあ。』などと頭に浮かぶことが色々あった。

特に英語の点では、

出来たこと:
自分が持つ英語力を駆使して、なんとか業務を回せたこと。これは、ある程度の自信となった。
特に、部門のマネージャーとして、3名の現地の女性スタッフと一緒にチームとして仕事が出来たことは、苦労は多かったものの非常にいい経験となった。

やり残したこと:
英語を母国語とする人達(現地のオージースタッフ)に対して、英語で言いたいことを素早く的確に伝えるという点では、まだまだ満足のいくレベルでなかった。
まして、難しい案件に対して、対等なレベルで議論できるところまでには辿り着けなかった。
また、部門のマネージャーとして、自分自身がスキルアップしなければいけないことが分かっていただけに、正直、“道半ば”という気持ちが強かった。

ただ、こうやって考えると、「やり残したこと」は、将来的に『やりたい事(=到達したい目標)』であることに気づく。
そして、『これを出来るようになりたい!』という気持ちが、前に進むパワーになる気がする。
更に言えば、今出来ていないことを「どうやって出来るようになるか」を考えるのが、私は結構好きだ。


幸運にも、プライベートの面では、奥さんも娘もシドニーでの生活を大いに楽しんでくれ、私もローカルチームでのサッカーを楽しんだり、オーストラリアの全てのカジノ巡りを達成できたりと満足できることが多かった。

何より、オーストラリアという国がとても好きになった。

『ライフワークとして、日本とオーストラリア間の交流に何らかの形で貢献していきたい。』

そして、

『出来れば、またここ(シドニー)でチャレンジしたい。』

こういう思いを抱えて、シドニーをあとにして5年振りの日本へ本帰国することになった。


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# by lateblooming | 2018-01-27 10:47 | オーストラリア赴任 | Comments(0)